ボビー、アイスランドへ


よかったよかった。日本のような国から抜け出せて。

長い間、喉元に小骨が引っかかるように気になっていたニュースにようやくケリがついた。チェスの元世界チャンピオンであるボビー・フィッシャーさんが長らく入管に身柄を拘束されていた件で、ようやく仮放免となり、本日、アイスランドに無事到着したという。よかった。本当に心底ほっとしている。

ボビー・フィッシャーのことは前にも書いたことがある。チェスの世界チャンピオン、それも人類史上最強のチャンピオンだった。彼に比肩する人間は今まで一人としていなかったし、これからも決して出てこないだろう。このことに異存がある人は、たぶんいまい。その彼が、米国が経済封鎖していたユーゴスラビアでチェスの試合をして賞金を手にしたことから米国で訴追されることになったくだりは前にも書いた。(これ)

ボビーが身柄を拘束された理由は、彼の持っていた旅券が切れていたため。そのため入管は「不正な旅券で出国しようとした」ということで彼の身柄を拘束した。——この事件は、世界中の関心を集めた(ことに気がつかなかったのは、たぶん日本人だけだったのでは?)。これにすぐさま反応したのがアイスランド。彼は、長い間世界チャンピオンの座を独占し続けていたソビエト連邦の当時のチャンピオン・スパスキーと対戦して遂に世界チャンピオンとなったのだけど、その試合が行なわれたのがアイスランドだったのだ。この試合のドキュメンタリー「白夜のチェス」は世界的ベストセラーになった。以来、アイスランドではボビー・フィッシャーは国民的な人気が高いのだそうだ。

で、アイスランド政府は急遽、旅券を発行し、それを婚約者の日本人女性のもとに送り届けた。これで出国できると誰もが思った。ところが日本政府は、「彼の国籍は米国なので、身柄を送り届ける先は米国である」といってアイスランドへの出国を認めなかった。——もともと「旅券が切れた」から身柄を拘束されたわけで、ちゃんとした旅券が発行され届けられたのだからそれで問題は解決したはずだ。ところが「旅券の発給先と国籍が違う」ということをめざとく取り上げ、「国籍のある国に送り返すのが筋だもんね」と意地悪したわけである。さすがに「じゃあ国籍を」とはならない、と日本政府は考えたんだろう。国籍を得るのは、そう簡単には行なえないからね。

——ところがアイスランド政府はさすがだ。国会を召集し、特例として彼に市民権を与えることを可決し、彼をアイスランド市民にしてしまった。そしてアイスランドの大使から、果ては国会議員がわざわざ日本にやってきてまで「ボビー・フィッシャーを我が国に」と運動し、日本政府に圧力をかけた。——既に、身柄を拘束する理由はなくなっている。そして「本国に送り返す」というこじつけも、「彼は既にアイスランド市民である」という時点で通用しなくなっている。で、遂に根負けして彼をアイスランドに送り返した、というところだろう。

ともかく無事に彼が出国できてほっとしたところで、つくづくと思ったのは、「同じ国家の行政府でありながら、どうして日本とアイスランドではこうも違うのだろう」ということだった。日本では、「個人のために国家や行政府があれこれ考えてくれる」ということなど、よほど特殊な事情がない限り、あり得ない。日本では「個人のために国がある」のではなく、「国のために個人がある」らしい。だから、国や政府とは何の関係もない個人が「助けて下さい!」といってきても、その願いを聞き届ける義務を法律が規定していない限り、「そんな法律はないからできない」で切り捨てられる。

ところが、アイスランド政府は「個人のために国があるのだ」ということを深く理解しているのだろう。個人のために国があるのだ。助けを求めている個人を救うことができないのであれば、それは、そう規定している法や政府が間違っているのである。だから間違っている方を修正すればいい。すばらしい。国というのはかくあらねばならないよね。

もちろん、彼がボビー・フィッシャーだからということもあるだろう。ごく普通の名もない個人に対しても同じように対処してくれるかといえば、そうではないかも知れない。ただ、少なくともアイスランド政府は、ある種の「人情の機微」を知っている。「人々が何を求めているかを考える」という行政府としての基本がよくわかっているように思える。今の日本の行政には、それがない。わざわざ人々の感情を逆撫でするようなことをして「いや、これが正しいのだ。文句をいう人間は、そのほうが間違っているのだ」といわんばかりの態度をとる。

日本にだって、アイスランドと同じようなことはできたはずなのに。国会を召集し、彼に特例として国籍を与えるような措置は、実は現在の日本の法律でも可能なのだ。また引き取り手があるのだから退去先を米国以外にすることも実は可能だった。ただ、可能だったがやりたくなかっただけだ。「日本政府に、米国でお尋ね者になっている外国人を救う義務などない」からだ。

国というのは、政府というのは、何のためにあるのだろう。人々が安全に幸せな暮らしをできるようにするため、ではないの? 自国民以外の人間は、関係ないから、たとえ救うことができたとしても無視して不幸に陥れればいいの? かの、日本領事館に駆け込んできた脱北者が日本人に追い立てられ中国の警察によって引きずり出されていった映像を僕らは忘れてはいない。あれが、僕らの政府の姿なのだ。昔も今も、あれと同じことを、時を移し場所を変え、繰り返し続けているのだ。

そうやって、日本という国はことあるごとに評判を落としていく。なんとまぁ情けない国なのだろう。

公開日: 金 - 3月 25, 2005 at 01:20 午後        


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