おすすめ本(10) 「ガラスの動物園」 (戯曲)


そうなんだよ、どうしても芝居となると、これが出てくるんだよ。
T.ウイリアムズの傑作ではあるんだけど、やっぱ個人的な思い入れが深いのかなぁ。

若い頃、芝居をやっていた。いや、役者ではなかったから「芝居に関わっていた」といったほうがいいか。だから、戯曲となると、どうしても客観的に選ぶのが難しい。つい、主観的なものが頭の中をしめてしまうからだ。文芸作品としてすぐれたものとかでなく、「もっとも思い入れの深い芝居」になってしまうんだな。

「ガラスの動物園」は、オレがもっとも愛した芝居だ。いや、オレはこれを上演できなかった。ただ、いつの日か一度でいいから、これを上演する、その端っこでいいから関わってみたかった。——「ガラスの動物園」を見たのは、あれはいくつのときだったろうか。20代前半ではあったと思う。決してメジャーな劇団ではなかった。小劇団としてはまぁそれなりな位置、といったクラスのところだった。すばらしい役者というわけでもなかったと思う。だけど、そのとてもシンプルな物語は、なんというか当時のオレにいたく染みてきたのだな。

思えば、背伸びしていたのだろうと思う。好きな戯曲は?と聞かれれば、ワイルダーの「わが町」だの、ベケットの「ゴドーを待ちながら」だの、ミラーの「セールスマンの死」だの、いかにも当時の自分から見て高尚に思えたものをさもわかったような顔していったものだ。やれシェークスピアといえば「リチャード三世」だとか、やれ別役実がどうした清水邦夫はどうだ、とかろくに知りもせずにまくしたてたり。難解であったり意味が分からないようなものを「これこそ芸術だ、わからない奴らがバカなのだ」と思っていた。

——そんな頃に見た「ガラスの動物園」は、そういう見かけ倒しの鎧を粉々にしてしまった。シンプルな、あまりにシンプルな物語。ある薄幸な少女と、彼女のもとを訪れた男性の一夜のほんの短い時間の物語。なんでこんな単純なものがこんなにも美しいのだろう。そう思った。

テネシー・ウイリアムズの中でも、「ガラスの動物園」は一番ではない、と思う。「欲望という名の電車」や「焼けたトタン屋根の上の猫」がまず出てきて、その下あたりに「ガラスの・・」や「薔薇の刺青」が位置づけられる、という感じだろう。確かにオレも「欲望・・」が作品としては一番の傑作だと思う。だけど、多分、もっとも多くの人に愛されている作品は「ガラスの・・」ではないかと思うのだ。これは、誰にでもわかる、静かで、美しく、悲しく、ほのかに幸せな物語だ。何も難しいことはない。子供でもわかるストーリー。

誰にでもわかること、それが本当はとてつもなく難しいことであることに気がついたとき、ウイリアムズの作品のすばらしさが初めてわかったように思う。思えばシェークスピアもその当時は大衆劇だったのだ。誰もが受け入れられる、誰もが楽しめる作品だった。偉い評論家だのといった人だけが褒め讃え、一般市民が見てもなんだかわからず「まぁ、これが面白いってんだから多分面白いんだろう」と頭に???を浮かべながら帰ってくるような、そんな代物ではなかった。そのことをオレに教えてくれたのが、きっと「ガラスの・・」だったんだろう。

だから、いわばこれはある種の表現者としてのオレの恩人みたいなものなんだ。決して超弩級大作ではないけれど、物語に浸っている間だけ心がやさしくなれる、そういう作品です。芝居として劇場で観るだけでなく、戯曲として本で読んでも十分それは伝わってくるはずです。

公開日: 土 - 11月 15, 2003 at 01:02 午後        


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