おすすめ本(11) 「種田山頭火」 (句集)


詩のたぐいはどうも向かないようだけど、俳句はなぜかすんなりはいる。
中でもやっぱり山頭火はよいです。かわいくって(笑)。

多分、本の数としては詩集が圧倒的に多いと思う。大半は中学高校ぐらいに買ったものだけど、萩原朔太郎や中原中也から村野四郎まで、草野心平や金子光晴なんかも手を出した。西条八十なんてイロモノ(?)も読んだ。だけど、どうも今ひとつぴんとこなかったんだよね・・。

結局、大人になって以降もたまに手に取ってみるのは谷川俊太郎さんぐらいになってしまった。といって、詩が嫌いなわけでもない。例えば「誰がために鐘は鳴る」の冒頭に出てくる、かのジョン・ダンの詩。

何人も一島嶼にてはあらず
何人も自らにして全きはなし

・・で始まるあの詩などは、若い頃暗記しては何度も口ずさんだものだ。考えてみれば、「月下の一群」や「海潮音」はかなりよかったから、つまりは翻訳詩が好きなのかな。漢詩も割と好きだし。多分、口語的なものより、昔の文語調の詩のリズムが好きなんだと思う。

では、日本の詩歌はダメなのか、というと、やっぱり一番すんなり入るのは俳句なのだな。愛読書は山頭火。確か高校ぐらいの頃だったと思う、「山頭火文庫」というのが当時あって、その句集を買ってよく読んでいた。これは今でも持っていて、たまに開いて読み直したりする。初期のものは割と定型のものが多いんだけど、これは今ひとつピンとこない。後期の自由律のものが実にすんなり入ってくる。

人には種田山頭火タイプと尾崎放哉タイプがあって、オレはどうも山頭火の方がぴたっとくる。放哉は、あまりにきびしすぎる。読んで、痛いんだ。山頭火は、淋しいときは「淋しいよお」と声に出して泣く。泣ける人間。そのへんが、多くの人にウケるんだろうな。赤ん坊のように素直な句が多くて、読んで思わず破顔することもしばしば。

詩歌は、あとは大岡信さんの「折々のうた」をたまにぺらぺらとめくって読むのが楽しい。そこで、全く知らなかった詩歌に出会えるのがすてき。——あ! 俳句ではないんだけど、山頭火や放哉と同種の味のする人で、山崎方代という歌人がいる。この人、前に新聞を読んでいたときにその歌がぽつんと一つだけ目に入ってきた。

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

がつーん!と頭ぶっ叩かれた感じだったね。短歌で、目に入っただけで思わず目頭が熱くなっちまうことなんて絶えてなかったのに・・。日本には、まだまだすごい歌、すごい句があるんだ。そう思うと、日本もまだまだ捨てたものじゃないな、とつくづく思えるのでした。山頭火は、今でも句集などがあちこちから出ているので入手可能と思うです。山崎方代は「青じその花」など何冊か本が出ているけど、いずれも入手しにくいようなので図書館などを探してみましょう。

公開日: 水 - 11月 19, 2003 at 02:10 午後        


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