おすすめ本(8) 「ガラスの鍵」 (ハードボイルド)


結局、本当のハードボイルドは、ハードボイルドを生み出した人間だけにしか生み出せないのかも知れない。チャンドラーですら既にハードボイルドではない。ならば、ハメット以外に誰がいる?

ハードボイルド。これほどまでに広まっていながら、これほどまでに衰退した文学もない。ハードボイルドと称する無数のバイオレンス小説は巷に満ち満ちているけれど、本当のハードボイルドは、それを生み出したハメットにより始まり、ハメットと共に終わったのではないか、と思う。彼の他にハードボイルドであると思えるのは、唯一、ヘミングウェイぐらいだろう。チャンドラーは甘ったるく、ロス・マクドナルドは社会小説だ。

ハードボイルドは、強い男の物語だ、そう勘違いされている。血と硝煙で形作られたものだ、暴力に暴力で報復する話だ、強い怒りと憎しみの物語だ。——これらは、すべて間違いだ。だが、そう思う人間は、悲しいことにごくわずかだ。

ハードボイルドの主人公は、紳士でなければならない。決して激することなく、憎しみや怒りに染まる人間であってはならない。腕力や銃で物事を解決する人間であってはならない。——これこそが本当のハードボイルドだ。だが、そう思う人間は、悲しいことにごくわずかだ。

「ガラスの鍵」は、ハードボイルドの生みの親、ダシール・ハメットの最高傑作である、と思う。一般的には「マルタの鷹」や「血の収穫」のほうが有名なのかもしれないけど、もっともハメットが愛した作品は「ガラスの鍵」だといわれてる。オレもそれは何となくわかる気がする。もっともハードボイルドらしい作品はこれだと思うんだ。

「ガラスの鍵」の主人公は、博打打ちで、政治屋のヒモである。彼は非力であり、銃の名人でもなく、格闘技の達人でもない。暗黒街の大物でもなく、端役の存在だ。だが、彼は常に世界に対し超然として生きている。決して激することなく、常に静かに微笑を浮かべている。完璧なまでに自己を排除し、すべての物事を客観的に組み立てようとする。——そう、これこそがハードボイルドなのだ。そしてハードボイルドとはまさに「彼がどう生きたか」なのだ。ストーリーでもなく、シチュエーションでもなく、ただ「生き方」の文学なのだ。

「マルタの鷹」や「血の収穫」が世に登場したとき、人はその硝煙と血しぶきがハードボイルドだと思い込んでしまった。そして、拳や銃弾で語るチンケな小説ばかりが自称ハードボイルドとして世の中に広まってしまった。ハードボイルドが何かもわからない人間たちが、よってたかってハードボイルドを貶めている。それが現実だ。

ハードボイルドな小説や漫画やゲームが子供たちに悪い影響を与えている、なんてバカげたことをいっている人にこそ、一度「ガラスの鍵」を読んでみてほしいと思う。ハードボイルドは、文学なのだ。すばらしく格調高い小説なのだ本当は。そこいらの下世話な暴力小説と一緒にしないでほしい。せめて「本当のハードボイルド」を知った上で批評してほしい。ハードボイルドを心から愛する人間なら、きっとオレのいってることはわかるはずだよ。

公開日: 木 - 11月 13, 2003 at 11:21 午前        


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