おすすめ本(4) 「9マイルは遠すぎる」(ミステリー)
ミステリーとは推理小説、いや論理小説である。
という人にとって、純粋に論理を楽しめる作品集であります。マイナーだけどね。
推理小説というのは、要するに「謎解き小説」なんだけど、どうも昨今は「筆者に都合のいい展開で謎が解ける」ものが多い気がする。純粋に、読者に与えられたのと同じ情報だけで論理的に証明をする、というものは意外に少ないんでないか。
そういう「純粋論理小説」といった目で推理小説を眺めると、やっぱり昔の海外ミステリーが一番しっかりとしているんだよね。エラリー・クイーンとかディクスン・カーとか。日本でも都築道夫さんみたいな論理のアクロバットの巨匠もいるけど、どうも他にあんまり人がいない。それに比べ、海外は本当に作家が豊富だ。
だけど、日本ではミステリーは長編至上主義なのか、短編作家が意外に知られていないのが残念だ。チェスタトンのブラウン神父シリーズを筆頭に、「思考機械」ことヴァン・ドーゼン教授、隅の老人などけっこう粒ぞろいなのにね。——そんな名作ぞろいの短編作品の中でも、個人的にイチオシなのが、ハリイ・ケメルマンの「9マイルは遠すぎる」なのであります。
これは、レストランでふと耳にした「9マイルもの道を歩くのは並大抵のものじゃない」というつぶやき声から、まだ起きたことさえ知れていない殺人事件の発生を推測し、その犯人をつかまえてしまう、という究極の論理小説なのです。この他にもいくつか入っている短編も、すべて一級の論理展開を味わえるのです。
ハリイ・ケメルマンは、ユダヤ教のラビを主人公にした「金曜日、ラビは寝坊した」などの一連の長編小説で知られているんだけど、これは推理小説としては割と淡白で、どっちかというとその世界を楽しむという感じのものなんだよね(でも個人的には好きなんだけど)。それが、短編だとその論理の構築部分が際立ってくるんじゃないだろうか。
思えば、「純粋なる論理的推理」が弱くなるにつれ、名探偵は少なくなってきた気がする。それはやっぱり、「読者にも登場人物にも全く同じ条件が与えられているのに、どうしても読者には謎が解けず、主人公が(全読者に「おそれいりました」といわせるぐらいに明快に)謎を解いてみせる」というところがなくなってしまったからだろう。はっきりいって、謎解きのところで「そんなの知らなかったぞ、卑怯じゃないか」というミステリーが多すぎる。
推理小説は、小説の中で唯一、作者と読者が対立する小説なのだ。お互いが勝負する小説なのだ。そういう原点が顧みられなくなって、「小説として読んで面白けりゃいいじゃん」となってきているんだろう。そりゃ、面白い方がいいよもちろん。だけど、「謎解きの手前で本を閉じ、一晩寝ないで考える」という知的楽しみが味わえなくなってしまうのはあまりにさみしい。どこかに純粋論理を戦わせることのできる書き手はいないものかなぁ・・。
公開日: 土
- 11月 8, 2003 at 06:27 午後