おすすめ本(5) 「辛酸」 (ノンフィクション)
権力との戦いとは、すさまじいとしかいいようがないものだ。
これは足尾鉱毒事件を描いた城山三郎さんの作品であります。
ノンフィクションとかルポルタージュというものを読むとき、何より考えなければいけないのは、「それはどこから見たものか」だと思う。そのことを強烈に叩き込まれたのは、鎌田慧の「自動車絶望工場」を読んだときだった。これは、著者が実際に自動車の組み立て工場に工員として潜入して働いたときのルポなんだけど、このときにお偉いさんたちと共に視察にきたえらいノンフィクション作家が出てくる。それが草柳大蔵だった。
工場で働く様を上から眺めた草柳氏は、ベルトコンベアによる効率的な工場生産を絶賛する。だが、実際にベルトコンベアの前にたって、毎日毎日朝から晩まで機械となって働き続ける鎌田氏は、一工員の立場から呪いの声を上げる。——同じ工場を同じ目で見ながら、その立っている場所によってこうも違うのだ。小説ならそれもいいだろう、だが少なくともルポやノンフィクションと呼ばれるものであるならば、それはルポする「現場にいる人間たち」の目から見たものでなければならないはずだ。現場にいる人間たちを上から睥睨して書かれたものであってはならないはずだ。
そういう目で見ると、大家と呼ばれる人の作品は、どれもつまらないものばかりだった。読んで身が震えるほどの衝撃を受けたのは、「自動車絶望工場」の他には、松下竜一の「砦に拠る」だけだった。これは熊本県下筌ダムの反対闘争のリーダーだった室原知幸氏を描いたものだけど、国家権力というのはここまで一般市民に対し無慈悲であり無理解であることを赤裸々に描いたものだ。その他に、多くの著名なドキュメンタリー作家の作品で心を打つものはほとんどなかった。どんな分野でも、人は偉くなると高いところからものを見るようになってしまうのか、とオレは少し悲しかった。
だが、功成り名を遂げた後も、決して目線の高さを変えずにいる人もいる。城山三郎さんは、そうした数少ない人間の一人だろうと思う。その彼のノンフィクションにおける立場、「どこからものを見るか」が実によく伝わってきたのが「辛酸」だ。これは、足尾鉱毒事件で民衆の中にたって戦い続けた田中正造の物語である。が、実は田中正造が主人公ではない。この物語の主人公は、この日本初の公害事件の中心となる谷中村の村民だ。
田中正造というのは、足尾鉱毒事件のために明治天皇に直訴をした人間として歴史に名を残している。彼を描くだけでも十分に「現場から見た物語」にはなった、と思う。が、それだけでは城山さんは納得できなかったのではないか。田中正造よりも更に下の立場、それは鉱毒により体を蝕まれつつある村民自身である。そこから事件を見て初めて意味のあるものとなる——そう思ったのではないだろうか。田中正造のなくなった以後も、物語は終わらない。彼の死後も、村民は戦い続ける。
足尾鉱毒事件は、多分教科書でも教えるものだと思う。だけど、この事件に対し、政府は「村そのものを廃村とし、村ごと証拠隠滅する」というすさまじい隠蔽工作をして事件のもみ消しをはかったことなど、教科書では教えてくれない。そう、鉱毒被害を受けた谷中村の全村民は「いないこと」にされたのだ。谷中村なんて村は存在しなかったことにされたのだ。「辛酸」というタイトルがすさまじい。「辛酸とはこういうことをいうのだ」と城山さんの憤怒が聞こえてくる気がする。
「辛酸」は、まだ文庫でも手に入ると思う。「自動車絶望工場」や「砦に拠る」は手に入りにくくなってるかも知れないけど、「こういう社会に自分たちは生きているのだ」ということを知るだけでも、一度読んで損はないです。
公開日: 日 - 11月 9, 2003 at 04:58 午後