松本死刑判決に寄せて


本当に、殺してしまっていいのだろうか。まず、頭に浮かんだのはそのことだった。死刑しかないんだろう、今の制度では。でも、それが事件の解決策なのだろうか。

巨大な誤解を抱える覚悟でいってしまうと、僕にはどうも松本智津夫という人間を憎む心を抱けないでいる。判決の日、テレビは裁判所からこぞって中継をし、転がるように出てきた記者が「麻原に死刑、死刑判決です!」などと絶叫していた。それが、無性に空々しく見えた。「そんなに興奮して、君は何がそんなに嬉しいのか?」と彼らに尋ねてみたかった。

僕は、死刑反対論者である。だから、ここで敢えていう。松本智津夫を死刑にすることに、僕は反対である。殺してはならない。生かしてこその刑罰ではないか。世に死刑反対論者は山といるはずなのに、こと松本の判決に関してだけは、なぜ誰もが口を閉ざしているのか。「絶対にこの人間だけは死刑にするしかない」という人間に対してこそ「死刑にしてはならない」と声高く叫ぶべきではないか。

地下鉄サリン事件は、確かに大事件だった。けれど、発生当時は、なんというか「よくある大事件の一つだった」という印象しかなかったように思う。何日かするうちに、事件に直接関係のない人間は少しずつ事件のことを忘れていったはずだ。それが「歴史的大事件」へと変わったのは、事件を起こしたのがオウムであるとわかってからだった。オウムに捜査のメスが入り、麻原が逮捕され、サティアンと呼ばれる兵器工場が暴かれ、そうして地下鉄サリン事件は歴史的な大事件へと祭り上げられた。そう、事件は「オウムという狂信的宗教団体が宗教的信念に基づいて行なわれた」ということが明らかになってから、本当の「大事件」になったのだ、と僕は思う。このことは、実は重要なことだ。事件そのものが問題だったのではなく、それを起こしたのが狂信的宗教団体だったことが問題だったのだ。

狂った信条を持った狂信者の集団がいる。そのことに人は恐怖した。そして、それから日本に新しい非差別社会が誕生した。オウムは、誰もが無条件に差別してよい人間となった。役所は、相手がオウムであれば転入届を拒否してよかった。義務教育であっても、オウムの子供は公然と入学を断ることができた。オウムであることがわかれば、例え何一つ悪いことをしていなくとも、村八分にし、身ぐるみ剥いで街から追い出すことができた。そうして僕らは、心ゆくまでオウムをいじめ仕返しをした。それが正しいことだと誰もが信じ、正義感に燃えて、半ば楽しげに僕らはオウムを差別し続けた。

松本は、オウムは、僕らに与えられた恰好の魔女である。魔女であることがわかれば、誰もがリンチし強姦し火あぶりにしてよいのだ。そうしても罪にはならないのだ。誰もが認めた恰好の羊。そうして松本は、誰もが「殺していい人間」として認知された。死刑判決などが出る遥か前から、彼は僕らにとって「殺してもいい、殺すのが正しい人間」となってしまっていた。

「あれだけ悪いことをしたんだから、あいつは殺した方が世の中のためなんだ」

——僕は思う。麻原もまた、同じことをいったのではなかったか、と。ようやく一通りの判決が出た。このあたりで、僕らは正気に戻る必要がある。オウムが僕らに対しておかした罪と、そして、僕らがオウムに対して犯した罪を、冷静に考える必要がある。

人を殺すということは、重いことだ。人一人の命は地球よりも重い、そう僕らはいわれて育った。だからこそ、そんな大切な命を奪った人間に対し、憤り、怒りを感じるのだ。そんな人間が、別の人間に対してだけは、こうも簡単に「殺していい」と思えるのはどういうことなのだろう。事件の被害者やその家族が「殺したいほど憎い」というのはよくわかる。けれど、僕と同じように、事件とは直接なんの関係もない人間までが、なぜ松本に対してだけはこうも簡単に「殺してしまえ」と思えるのか、それが僕にはわからない。そして「彼がかつて代表を務めていた宗教団体に所属している」というだけの理由で、罪もない人間をなぜ平然と差別できるのか、僕には皆目理解できない。

この世に、「殺して解決する問題」などない。僕はそう思いたい。どのような場合であれ、「殺せば解決」などというものはない。もうそろそろ、正気に戻ろう。オウムが社会に対して犯した罪のことだけ声高に叫ぶのをそろそろやめ、僕らがオウムに対して犯した罪のことを少しずつ考えよう。松本は、汚い手で若者たちを取り込み罪へと走らせた。だが、そういう僕らの手だって、ずいぶんと汚れたものじゃないか。正義感ぶってオウムを糾弾するのは、そりゃあ確かに楽しいだろう。正義の錦の御旗のもとに公然と人を苛むのは気分がいいんだろう。だけど、いい加減、そろそろ終わりにしよう、このばか騒ぎを。

宴は終わったんだ。次は、後片付けをする番だ。

公開日: 土 - 2月 28, 2004 at 05:56 午後        


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