あなたはそんなに立派なのか?


三菱のトラック、三和の回転ドアと、大手メーカーの作ったはずの製品の欠陥が見つかった。そりゃ、確かにたるんでると思うけど、鬼の首でもとったような態度はどうなんだろう。

三菱のトラックに欠陥が見つかってリコールとなったと思ったら、今度はアークヒルズの自動回転ドアでの死亡事故で、三和シャッターが設計上のミスをしてたんじゃないかといわれてる。大手メーカーといえば、昔は「絶対安心」な感じがあったけれどな。最近は「大手」という看板も地に落ちてきつつあるね。

これらの問題は、ちょこっと脇に置こう。そりゃ、問題があれば悪いのは確かなんだし、それを今回いいたいわけじゃないんだ。——どうもね、アークヒルズで子供が亡くなって以後、「自動回転ドアの問題」をつっつく声があちこちであがってる。僕のよくいく掲示板でも、そりゃあもう製造元の三和シャッターはバカ扱いされております。「これこれこういう問題があるのは作る前にチェックできたはずだ」とかね。

それにしても・・。「日本人は、みんな評論家になってしまったんだなあ」と、こういう高飛車な物言いを見ているとつくづく思ってしまう。誰もが、起こった事故を評論家的に「これこれこういう問題があるのは事前にわかったはずだ」などともっともそうにそういう。まるで、「オレだったら、そんな間違いはしない」といわんばかりに。そういうのを見ていると、なんとはなしに不快な気分になってくる。岡目八目、だいたいこういうのは外野からはよく見えるけれど、いざ自分が当事者になれば見えないのが当たり前だ。そういうことには思い至らず、いかにも外野から冷静に見ている自分の眼は確かだ、といわんばかりにのたまうのがなんともいえず不快だ。

僕は、基本的に「人間は、ミスを犯すものだ」と思ってる。大企業だろうが何だろうが、人間が集まって働いている以上、必ずミスはあるものだ。問題は、「起こったミスをいかにして扱うか」ということだと思う。三菱は、起こったミスへの対処の仕方を誤ったがために、こんなにも大きな問題となり非難を受けているのだと思う。三和シャッターは、今、どう対処するかを求められているところだと思う。ここできちんと対処をすれば、失われた信用を回復し、更に安心して使える製品作りへとつながるはずだ。

だけど、偉そうにのたまう人々の中には、まるで「ミスをした事自体が許されない」という感じでいる人が目につく。それが、僕の不快感の原因なんだろう。「こんなことは、誰だってちょっと考えればわかることだろ。そんなこともわからないなんてバカじゃないか?」という態度。そうなのだ。人間、それが実際に起こってみれば「誰にだってわかるようなつまらないミス」と思うような過ちを犯してしまうものなんだよ。それが人間だろ? そこを「ダメだ」とばかりに追求されたら、どうしようもないじゃないか。

よく、医療ミスなんかでもこういう態度で報道するところ、けっこうあるよね。「注射器を取り違えたなんて、そんなバカでもわかるようなミスをするなんてたるんどる!」という態度。そんなバカでもわかるようなミスを犯すのが人間なんじゃないか? ミスをした事自体を追求するよりも、「ミスを犯しても問題ないシステムをどうして確立できなかったか」を追求すべきではないのか? 例えば、ある病院ではチューブと注射器のジョイントの形状をすべて変えて、異なる注射器がチューブに物理的にさせないようにしたというのを前に見た。つまり、「人間がミスを犯しても、それがすぐに発覚して問題につながらないシステム」を考えればいいんだ。

ミスは、犯すんだ。「こんな、どんなボンクラだってわかるようなミス」を、誰もが犯すんだ。僕も、あなたも。人間なんてのはそういうものだ。「生まれてこのかたミス一つ犯したことがない」という立派な人間などいるものか。「ミスを犯すことが悪い」という態度でいる限り、ミスによる事故は絶対になくならない。「完璧な人間を要求するようなシステム」をこそ、問題にしなくちゃいけないんじゃないか。ミスを一切犯さない人間でないといけない社会、そのほうが問題なんだ。

別に社会のあり方とか大げさなことでなくてね。「失敗するな」と説教するより、「失敗したらどうするか」を教えること。それが、親とか教師とか上に立つもののやるべきことじゃないか——そういい替えたなら、なんとなく共感できない??

公開日: 日 - 3月 28, 2004 at 06:41 午後        


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