歴史を教える


宮城谷さんの「子産」が出たので暇を見て読んでる。いや、面白い。
歴史小説を読む最大のメリットは、さまざまな視点から歴史をとらえられることだろうと思う。本当は、そういうことを学校で教えて欲しいのだけど。
オレは学校で何一つ歴史を教わらなかった気がする。

先日、ニュースかなにか見てた時だったと思う。嫁が、日本の初代総理大臣は誰か?って聞いてきた。

パパ「確か、伊藤博文だったと思うけど」
ママ「伊藤博文って、そんなに偉かったの?」
パパ「まぁ、そこそこは偉かったんでないかな」
ママ「そこそこなの? なんでその程度の人が総理大臣になれたの?」
パパ「他はみんな死んじゃったからな」
ママ「エッ!? そうなの?」
パパ「うん。本当に歴史に名を残すようなことをした立派な人たちは、明治維新の前にみんな暗殺されちゃったんだよ。で、明治維新の後は、当時は暗殺するほど重要でなかった、カスばっかりしか残ってなかったんで、その中でそこそこ偉い人が出世したの」
ママ「・・そんなこと、学校で習わなかったよ」

そう、学校では習わないのだそういうことは。でも、そういうのも合わせて教えるのが「歴史を教える」ってことでしょ? 歴史は、さまざまな方向を目指して進む人間が交錯して作られてきた。であるならば、そうした人々の数だけ異なる視点があるはずだ。

先生「江戸時代、家康公を除くと、歴代の将軍の中で一番立派な仕事をしたのは誰ですか?」
生徒「はい、五代将軍吉宗です」
先生「それはなぜですか?」
生徒「改革を行い、幕府の傾いた財政を立て直したからです」
先生「はい、その通りですね」

・・では、そのお金はどこから持ってきたんだ?
そこは、なぜか教えない。教えられるわけがない。魔法で作り出したのでない限りは、あるところから集めるしかない。あるところとは、つまり諸藩であり、庶民である。いいかえるなら将軍吉宗は、日本中の一般市民からもっとも過酷に金を搾り取り、幕府に集めた人間である。——だが、学校ではそんなことは絶対に教えはしない。そうして教えられぬまま、「将軍吉宗は立派な人」という虚像が確立されていく。そうして市民にとってもっとも苛烈な為政者だった吉宗は「暴れん坊将軍」なんてお茶の間の人気者になり、気がつけばその虚像が常識となり、「事実」となってしまう。

娘が大きくなったら、少なくとも「物事にはいくつもの異なる見方がある」ということだけは教えようと思う。歴史を教えるとは、そういうことじゃないだろうか。学校で歴史を教えている先生方、いかが思います?

公開日: 木 - 10月 23, 2003 at 05:01 午後        


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