いじめと復讐


いじめが原因と思われる中2少女の自殺があった。こういう事件はどうすれば「解決」といえるのだろう。

埼玉で、中2の少女が飛び降り自殺をした、と報道されていた。所属クラブでしばらく前からいじめを受けていたらしい。——ちょうど夫婦して乙一の「いじめ」をテーマとした小説を読んでいたところだったので、よけいにこの事件が頭にこびりついてしまっている。

僕は、小学校5〜6年にかけて、いじめられっ子だった。まあ、一番激しい時期は半年ちょっとぐらいだったろうと思うけど、おおむね1年半ぐらいいじめられ続けていたと思う。今、改めて思い起こして感じるのは、「いじめた連中は、みんな、自分がいじめをしていたなんて思いもしていないだろう」ということだ。彼らはみんな、ちょっと遊んだだけとしか思っていなかったのだろうと思う。

僕にとって最大のいじめっ子は、担任の女教師だった。これは多分、特殊ではない。いじめの相手が教師だったという人は意外に多いんじゃないだろうか。自分がいじめているとわかっている例もあるだろうが、僕の場合は、「自分が生徒をいじめているなどまったく思ってもいない、常に正しいことをしているんだと信じて行動している結果」がそのままいじめになっていた、というケースだった。こういうのはたちが悪い。なにしろ、本人は「正しいことをしている」と信じているのだから。

本人は、おそらく「嘘つきで宿題もやってこない問題児」をなんとかしようと思っていたのだろう。だが嘘つきというのは他の生徒が口裏を合わせて僕を嘘つきに仕立て上げていたのだということには全く思いが及ばなかったようだし、宿題を絶対にやっていかなかったのはその教師への不服従の意思表明なのだということにも全く気づかなかった。要するに、すべてにおいて鈍感であった、教師には全く向かない人間だったというだけのことだろう。そのために彼女は、表面上明るく快活に取り繕っているいじめっ子たちを無条件に信じ、いじめられて反抗的だった子を無条件に信用できない子だと信じた。

殴る蹴るのいじめというのは、中学で風紀委員の委員長をやった頃に何度か経験がある。が、これは継続されなければ(つまり一過性のものであるならば)そうつらいものではない。ほんの1時間我慢すれば終わることだ。きついのは、朝から晩まで、視線や態度、雰囲気といったもので差別され続けるということだった。これは効いた。1週間かそこいらなら我慢はできるが、これが半年を超える頃になると精神的には相当なダメージになる。

今の子供なら、これだけ長期にわたって生徒と先生にいじめられたら死を考えるものだが、不思議と当時は「死んでやる」とは思わなかった。思ったのは、「卒業した後を見てろよ」ということだった。必ず復讐してやる。それを唯一の支えにして毎日を過ごしていたように思う。そして、それはすなわち、僕が親に正しく育てられた証しなのだろう。少なくとも、その程度のことで死んだりしないほどには強く育ててくれたのだろう。そうした態度が功を奏したのか、卒業近くの頃には、担任教師以外はあまりいじめはなくなっていた。

こうした事件が起こると、決まって学校関係者という人間が出てきて「いや、いじめはなかった」などと述べる。が、僕はよく知っている。たとえいじめをしていた当人に聞いたとしても、その大半は真顔で「いじめなんてなかった」と答えるだろう。いじめている当人でさえ、自分のやっていたことがいじめなのだということにはまったく気がつかない、そういうものなのだ。

「いじめ」は、どこの学校にも必ずある——これを基本として考えるようにして欲しい。「そういう話は聞かないから、うちにはない」という感覚を、まずは学校関係者から取り除いて欲しい。どんな学校であれ、必ず「いじめ」はある。ない学校の方がおかしい。それが原点である。学校の先生の皆さん。証拠があろうがなかろうが、いじめは必ずあなたの学校に「ある」のだ。今時、いじめがない学校などというのは例外中の例外なのだ。あなたは、自分が「日本で有数の優秀な教育者である」と胸を張っていえるか。そうでないならば、必ずあなたの生徒は(更には、ひょっとしたらあなた自身も)いじめをしている。

そして、現在、いじめられている皆さん。とりあえず、死ぬ必要はない。学校なんていかなくったって死にはしない。そして、誰一人友達がいなくったって、人間、死にはしない。そのことだけは忘れないで欲しい。そして、あえて暴論だがいっておこう。「自分が死ぬぐらいなら、相手を殺してやれ」——そう思って生きなさい。もし万が一、本当に殺してしまったら、「掌田津耶乃がそうしろっていってました」と証言しなさい。大丈夫、「こいつ、いつか殺してもいいんだ」と思えれば、たいていのことは我慢できる。人間の感情の中で、もっとも大きな力を持つのは、憎悪である。殺されるぐらいなら、復讐を考えて生きなさい。

こういう「やられたらやり返せ」的な考えは好きじゃない。端的にいえば、大嫌いだ。だが、それ以上に「いじめられている本人が黙って死ねばすべて丸く収まる」という考え方の方が百億倍キライだ。そんなことをするぐらいなら、相手に復讐を考えて生きる方が遥かにいい。僕はそう思う。すべてのいじめられている君へ。黙って死んだら犬死にだ。死ぬなよ、断じて。

今回はかなり反論が来そうな話になってしまった。まあいいや。僕だってそうやって生き延びたんだから。同じ目にあったことのない奴に何がわかるっていうんだ。


(・・待てよ、これって殺人教唆になるんだろうか? ま、いっか)

公開日: 水 - 6月 16, 2004 at 07:30 午後        


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