教師の受難時代?
生徒が君が代斉唱しないと先生が処分される時代になったらしい。「間違った愛国心」を育てようとしているのか?
東京都で、入学式を妨害した(?)ということで学校が追加処分された。今までも「君が代を歌わない、起立しない」とかで処分された先生方はいたけど、今回は話が違う。今回の処分は「生徒が起立しなかった、斉唱しなかった」ために、先生方が「指導不行き届き」ということで処分されたんだそうだ。
都の教育委員会は、なんとかして日本の公立学校から民主主義を排除したいらしい。先生は生徒を思い通りに動かすのが当たり前、生徒は先生の言に従って自主性を一切発揮しないでひたすら忍従して過ごすのが当たり前、と考えているらしい。——もともと、日本の義務教育というのは「歯車の歯となって一生奴隷のように働く労働者」を育成するためのものだろうと思っていたのだけど、とりあえず建前上だけでも「いえいえ民主主義を守る教育をしてますよ」的顔は保っていた。が、ぼちぼちそういう建前上の仮面をかなぐり捨て、本性を現し始めた気がする。
あの石原慎太郎という物書きを都知事にしてしまったがために、東京都は次第に右傾化しつつある。特に教育委員会はほとんど右翼の走狗と化しているように思う。「君が代を斉唱しない先生は処分する」というところまでは、おそらく文科省の通達のようなものがあったのだろう。だが、「生徒が斉唱しなかったら先生を処分しろ」とまではさすがの文科省もいっていなかったはずだ。それはすなわち、教師に対して「自分が教える生徒を言論統制せよ」といっているに等しいことだからだ。言葉を制し、行動を制し、思想を制する。公立学校においてはそれが当然である。そう思っているとしたら・・想像しただけで背筋が凍る。そのような人間が教育委員会という教育を統括する場を支配しているという現実をどう考えればよいのだ。
政府や与党の間では、愛国心なんてものを学校教育に組み込もうだのといった動きまであるという。愛国心を育むというのは賛成だ。似非愛国心を愛国心と錯覚する人間が多い昨今、ぜひとも「本物の」愛国心を育て、「学校教育から民主主義を奪おう」という教育委員会や、「学校教育で国への忠誠心を植え付けよう」という政治家など、亡国の輩に対し徹底的に反抗し、平和国家たる日本を守る人間を育てたいものだ。——国を守るということは、民(たみ)を守るということである。国のために民があるのではなく、民のために国があるのだ(上杉鷹山)。であるならば、「国を愛する心」とは「民を愛する心」でなければならない。断じて、「国家」などという幻想のようなものや、政府や与党や皇室を守る心であってはならない。
間違った愛国心を「愛国心」と錯覚してはならない。「○○を犠牲にして国に尽くす」などという誤った愛国心は、亡国の心である。尽くすべきは「国」ではなく「民」である。愛国心というなら、そうした「正しき愛国心」を育てて欲しいものだ。そして、自由と民主主義に反するすべてのものに対し抗い戦う人間たちを育てて欲しいものだ。——そういう意味では、今回の教育委員会の処分は逆説的に正しかったのかも知れない。すなわち、「このような民主主義を否定する圧力に対し、断じて戦わなければいけない」という意識を多くの人に植え付けたことは間違いないのだから。
公開日: 水 - 5月 26, 2004 at 02:46 午後