成功者の教訓ほど役に立たないものはない


いや、また「しゃべり場」見てたんだよ(笑)。
そしたら、ゲストの鈴木光司さん。すっげーナルちゃんで驚いた。

ナルちゃんというと「自分ってこんなに美しい」みたいな人ばっかりのように思われがちだけど、そういうもんでもないと思う。外見だけでなくて、内面とか考え方とか経歴とか肩書きとか、要するに「自分ってすてきだろ、すごいだろ」的な人のことを、オレは全部ひっくるめてナルシストと思ってる。

で、さ。昨日の「真剣十代しゃべり場」で、ゲストに「リング」でおなじみの小説家の鈴木光司さんが出ていたんだけど、それがも〜、なんていうかさ〜、そうなのよ。ナルちゃんなの。「僕はこうやって生きてきた、そして成功した、だから同じようにすれば絶対にうまくいくんだ」という考え方なの。それが、「そうやって僕はうまくいったんだから、そういう生き方もあるんだよ」というのでなくて、「だから絶対にそうするのが正しい、それで絶対うまくいくんだ、オレを信じろ」みたいな感じで辟易してしまったのでした。

そう、きっと鈴木光司さんのいっているような生き方で彼は成功したんだろう。ただ「こうやった→成功した」からといって「成功するには?→こうやれば絶対OK」でないことは子供にだってわかるはず。「猛勉強した→東大に合格」だからって「東大に合格するには?→猛勉強すれば絶対OK」じゃないでしょうに。逆もまた真ならず、猛勉強しても不合格な人間もいれば、遊んでいて合格する人間もいる。それが人生でしょ。

それ以上にさ、彼の頭の中には「自分が成功したその背後には、何十万という成功できなかった人間たちがいる」という見方が抜け落ちているんじゃないか?とふと感じたのだ。——例えば小説家という職業であっても、世の中には小説家を目指す何万という人間がいて、その中で成功するのはほんの一握りの人間だけなんだよね。オレも若い頃は書いていた。何十回となくコンテストや新人賞に応募して、名前が雑誌に載った(佳作みたいなもん)のがわずかに1回だけ、後はすべて落選でありました。そういう「どんなにがんばっても成功できなかった人間たち」が世の中にはたくさんいて、そして世の中というのはそうした人間たちによって支えられているんだよね。決して、成功した一握りの人間たちが世の中を支えているんじゃないんだ。

成功し、その世界の頂点に立つ人間は、常に「自分のように成功できなかった無数の人間たち」からの視点をもっていなければいけない。そういう人間でなければ、頂点に立つ資格などない。でなければ、この世は悲しすぎる。それなのに、多くのところで「自分だけしか見えない成功者」がのさばっているように思う。そうした成功者の言葉ほど、成功できなかった人間にとって空虚なものはない。そういうこと、なんでわからないのかなぁ?

「しゃべり場」が始まる前、隣のチャンネルでは、ROBOCON(全国の高専のロボットコンテストね)出場チームのドキュメントをやってた。ROBOCONに参加して十数年(あれ、二十数年?)、ただの一度も勝ったことのないチームの挑戦だ。こっちのほうが、鈴木光司さんのご教訓よりはるかに多くのことを伝えてくれていたよ。勝ち抜き戦で優勝したチームってのは、つまり「一度も負けを知らないチーム」だ。そんなチームに、一回戦で負けたチームの一体何がわかるっていうんだ?

公開日: 土 - 11月 29, 2003 at 01:07 午後        


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