人間の自動翻訳機能ってやつは


人というのは、なぜに他人の言葉を勝手に自分の言葉に変換して考えてしまうのだろう。これは、人類の永遠のテーマだなあ。

とある掲示板で、「なぜに昨今、いい映画がなくなってきたか」というようなことを話していたんだけど、それでつくづくと思ったのは、「人は他人の言葉なんてきちんと聞かない」ということ。そして、「そうだ」とわかっている人でも、自分だけは例外と思ってしまうこと(笑)。

僕が「一人一人が、作品を正しく評価することが大事だ」というようなことを書いたところ、「正しい評価なんて誰かに任せればいいと思う」という意見をもらった。——これ、実は微妙に反論になっていないことはわかる? 僕がいいたいのは「正しく評価すること」であって「正しい評価」ではないんだよね。だから、こう意見をもらっても、「そもそも、僕はそんなこといってないんだけど・・」としか答えようがない。

こういうことってよくあると思うんだけど、困るのは、第三者から見ると、「なんとな〜く議論になってる感じがする」ということ。実は微妙にずれがあるんだけど、ただ外野から読んでるだけだと、一応議論になってる気がする。そして、たいていの場合は書いている本人も(笑)。だけど、1つ1つの意見というか認識が微妙にずれているので、決してかみ合う議論にはならない。でも、周りも、当人さえも(笑)それに気づかないまま、延々と不毛な議論を続けてしまうことってある。

人は、他人の言葉を、自分に都合のいいように解釈して中に取り込んでしまう。そして、(自分なりに修正された)意見を「相手の意見」と勝手に思い込んでしまう。ほとんどの情報というのは、「言葉」や「文字」に置き換えられて伝えられるわけで、それらが勝手に解釈され取り込まれるとしたら、つまりは情報というのは自分の内と外とで実は違うものに変質してしまっているかも知れないわけだよね。

同じ事柄でも、自分の内と外とでは違うものだ、ということを、僕らはつい、忘れてしまいがちだ。どんな事柄でも、「真実は一つ」なんて思い込んでしまったりする。まぁ、新聞の記事みたいに、後に残るものであれば、後からそれを見て正しい記述を確認できるのだけど、人と人の会話だとそうもいかない。言葉は消えてしまい、後には誤解だけが残る。

とりあえず、「自分は、おそらく相手の言葉を相手が思っているような形で正しくとらえてはいないかも知れないのだ」ということは忘れずにいよう。少なくとも、「オレは、誰の言葉でもかっちり正しく理解できてるんだもんね」と錯覚することだけはないようにしたいものだね。

公開日: 火 - 1月 20, 2004 at 07:06 午後        


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