戦争の記憶を風化させよう


アラファト氏が亡くなった。これでパレスチナの紛争の記憶は風化するのだろうか。

アラファト議長が亡くなった。いい意味でも悪い意味でも、中東の和平と戦争の鍵を握っていた人物だったね。中東に平和を導いたのも、戦争を引き起こしたのも、ある意味でこの人に大きな責任があったような気がする。——まぁ、パレスチナ問題というのは僕のような門外漢が偉そうにいえるほど根の浅いものではないのはわかってる、なにしろ2千年も前から争い続けているものなわけだから。ただ、このニュースを耳にして、ふとこういうことを思ったのだよね。この人が亡くなったことで、戦後のパレスチナにおけるさまざまな出来事は風化を開始するのだろうか、ということを。

記憶は、風化する。さまざまな出来事は、時間とともに忘れ去られていく。多くの人は、そのことを悪い意味でとらえがちだ。だが、僕は「風化」はやむを得ないことだし、ある面ではよいことであるんじゃないか?と感じることがある。さまざまな紛争、それは「風化」することで解決するしかない場合もある。いや、解決とはいわないか。でも「忘れる」ことでしか終わらないものってある。現実的な解決が絶対に不可能な問題、そんなものは「問題そのものを忘れる」ことでしか終わらない。

日本では、よく戦争の記憶を「風化させてはならない」というようなことをいう。風化することで、戦争の悲惨さが忘れ去られてしまう。人々の記憶にとどめておかなければいけない。そういう意見。そうなんだろうか。戦争ってのは、「みんなが戦争がどういうものか忘れてしまった」から起こるのか? そうじゃないだろう。戦争は、「戦争の元になるものがあるから」起こるんじゃないのか? 例えば、民族間の争い。例えば、国と国の諍い。それは、起こった当初であればまだしも、何十年、時には何百年、何千年と経ってなお引きずり続け、新たな紛争の火種となったりする。それは、人々がその記憶を「風化させまい」として努力してきた結果だったりしないだろうか。

星新一さんのショートショートに「白い服の男」という傑作がある。これは、戦争を取り締まる強力な国家的組織の話だ。戦争追放のため、世界規模で「戦争」というものを忘れ去ってしまうことが決定される。古代の戦場などの遺跡は全く別の出来事に置き換えられるか完全に棄却してなかったことにされる。戦争というものがちょっとでも登場する小説、映画、写真、絵画などすべての作品は完全に破棄され、所持していただけで逮捕される。すべての人々の言動は国家によって盗聴され、戦争という言葉を使った人間、戦争ごっこをしていた子供まですべて逮捕され、完全に洗脳される。そうして「戦争などというものは未だかつてこの世の中になかった。そもそも戦争などという言葉や概念すらこの世の中にはないのだ」という社会を強引に作っていく。そういう話だ。

「戦争の記憶を風化させてはならない」と叫ぶ人々がいる。だがそうした人々が口にするのは、たいていが「原爆の記憶」であったり「東京大空襲の記憶」であったり、要するに「自分たちが被害にあった記憶」だけだったりする。「風化させるな」という言葉に、日本人がいかに朝鮮人や中国人を殺し蹂躙したかという記憶のことを真っ先にあげる人はあまりいなかったりする。そしてそうした我々が忘れようとしている部分の記憶を、中国や韓国、北朝鮮の人々は声高に「風化させるな」と叫ぶ。米国人は「リメンバーパールハーバー」と叫び、その一方で原爆投下の記憶はとっとと忘れようとする。——いっそのこと、全ての人間がすべての記憶を忘れてしまえばいいのに。からまった民族間、国家間の憎悪は、お互いに忘れ去ることでしか解決できない。

憎しみを持ち続けることをよいことのように考え、憎しみを忘れることを責める。そういう考えというのが人々の中には確かにある。親や兄弟や子供や恋人やその他大切な人々が奪われた憎しみ、それを「決して忘れるな」と持ち続けることは、しかし正しいことなのだろうか。——もちろん、感情に「どれが正しい」などということはない。僕だって、娘が突然殺されたりしたら、絶対にその相手への憎しみを忘れたりはしないだろう。だが、それを更に子、孫にまで伝える必要はない。自分の憎しみは、自分の代で終わりにすればいい。憎む心など持っていない次の世代へわざわざ憎しみの心を植え付け育てる必要など全くない。

自分たちが苦しめられた記憶だけを次の世代に受け渡す。おそらくは自分たちが受けた幸せな記憶だってたくさんあったことだろう、だがそれらは自分の代で忘れ去られ、憎しみの記憶だけが連綿と続く。そうしてお互いの民族、お互いの国で相手に対する憎しみの記憶だけが蓄積されていく。それが本当に自分たちの民族、自分たちの国の平和へとつながるのか? その果てに本当に幸せな日々が待っているのか? 僕にはとてもそうは思えないのだ。だから、あえて僕はこう叫んでみる。

戦争の記憶を、風化させよう。次の世代に不幸な記憶を受け渡すのは止めよう。受け渡すならば、幸せな記憶を。

公開日: 木 - 11月 11, 2004 at 04:24 午後        


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