悪役を叩けばそれでいいのか


なんか最近、世間的に「こいつらは悪役」と決められると安心してみんなで袋だたきにする、ということが多くない?

アップルコンピュータ関係の掲示板でね、アドビがアップルから離れつつあるんでないかとかいう話になったわけです。で、そこであれこれ話が出ていたときに「ベンダーに対して閉鎖的で情報を公開してないのが悪い」とかいう意見が出て、ちょっとムッとしたのであります。

それをいうのが開発者であればわかる。だけど、実際に開発に関わってもない人間が憶測やイメージだけで「最近のアップルにはそういうところがあるからなあ」とかもっともらしくいうのはどうなんだろう。——一応、5流のへっぽこプログラマとしては、最近のアップルはずいぶんとちゃんと技術情報を提供してると思う。もちろん、まだまだ足りないけど、少なくとも「閉鎖的で情報を公開しない」ようなそぶりは感じられない。

アップルってのは、大企業だ。要するに、「大企業=消費者の敵」であり、「どーせこいつら、なんかあこぎなことしてでも金儲けしようといつも考えてるやつらなんだ」という感じがある(ない?)。だから、僕らは大企業を安心して「憶測とイメージだけで悪役と決めつける」ことができる。僕らは安心して、(実際のところどうかなんて考えることもなく)彼らを「悪い」と決めつけて文句を言うことができる。

昨今の自動回転ドアとそのメーカーへの風当たりにも、そういうのを強く感じる。もちろん、死者が出たのは大問題だし、その危険が前から認知されていて放置されていたとしたら糾弾されて当然だ。死亡事件の後、次々に小さな事故の報告が出てきて、僕らは「やっぱり自動回転ドアなんてのは危険なんだよ」としたり顔でいったりする。——けれど、死亡事故が起こるまで、ほとんどの人間は普通に自動回転ドアを使っていたのだよね。お年寄りや小さい子供を連れていて「ひやり」としたことがあれば別だけど、ごく普通の健康な成人であれば、別に「これは危険だな」などと問題にすることもなく当たり前のように自動回転ドアを使っていた。

おそらく、死亡事故が起きなかったら、今後も自動回転ドアは普通に使われていっただろう。大半の人は、別にそれほど危険とも思うことなく。そう、事故さえ起こらなかったら、みんな自動回転ドアのことなんて何も考えなかったんだ。事故が起こる前、みんなの中に「自動回転ドアってのは危険だよ、あんなの使うべきじゃないよ」と主張していた人間がいただろうか。誰も気づかなかったのだ、そんなことには。それが、事故が起こり、自動回転ドアが「悪役」と決めつけられた瞬間に、関係するすべての企業団体個人はみんな叩かれることになった。

なんか、違うんじゃないか。例えば、それじゃあ自動ドアは安全なのか? エスカレータは安全なのか? 動く歩道は安全なのか? 僕は、うちの娘をつれて買い物に行く度、自動回転ドアなんかよりエスカレータの方がはるかに怖いと感じる。エスカレータで転倒して怪我をした人は、自動回転ドアなんかよりはるかに大勢いるはずだ。ではなぜ、誰も「エスカレータは危険だ、なくすべきだ」とはいわないのか。自動回転ドアは、次々と撤去されなくなろうとしているのに。——自動回転ドアと違い、エスカレータは代替手段があまりない、撤去に莫大な費用がかかる、など一見するともっともな理由はあるだろう。けれど、もしエスカレータで死亡事故が起こったら、誰もが鬼の首でもとったように「エスカレータを撤去すべきだ!」と叫ぶんだろう。

世間で「悪役」と決まった人間を叩くのは誰でもできる。既に「悪い」と決まった人間を後から後からなんの関係もない人間たちが叩く。だけど、まだ誰も「悪い」といっていない、世間的には「善人」である人間に対しては、何か悪いと感じるところがあっても誰も叩こうとしない。——そういうのが、正義なんだろうか。

水戸黄門じゃないんだ、世の中は。悪役と決まった人間をばったばったと切り倒してめでたしめでたし、という感覚が、僕にはどうにもやりきれない。

公開日: 日 - 4月 4, 2004 at 05:08 午後        


©