事故の責任者


山陽自動車道で5名を死亡させた事故の判決が出た。

車の免許をとってから、交通事故関係の新聞記事が妙に目にとまるようになった。なにしろ乗ってる車がビートルだ。ちょっと何かしくじれば事故を起こしかねない。何より怖いのは自分が怪我をするより、誰かに怪我をさせることだ。万が一、死亡事故でも起こそうものなら、相手だけでなく、こちらの人生も破滅に近いことになる。そういうのが頭にあるからか、死亡事故などの裁判となるとつい読みふけってしまう。

今日も、大きな死亡事故に関する判決が出ていた。昨年8月、山陽自動車道のトンネル内で車3台に追突し5人を死亡させた事故で、車を運転していた元トラック運転手に懲役4年の実刑判決が出た。実刑というのは交通事故ではかなり厳しいが、5名が死亡しているとなるとこれはやむを得ないだろう——と思いつつ記事を眺めていたのだけど、どうもどこか引っかかるものがある。それは「元トラック運転手」という肩書き。で、調べてみると、思った通り。被告の男性は、事件当時、トラックの運転手で、仕事でトラックを運転しているときにこの事故を引き起こしたのだった。そして「元」ということは、その後、会社をクビになっているわけだ。

なんとなく釈然としないものがあって調べてみたのだけど、それでこの事故の概要がわかってきた。——事故当時、被告である運転手は運送会社の社員としてトラックを運転していた。当日、彼は急性咽頭炎を患っており、しかも長距離運転の疲労が重なり、半ば朦朧とした状態でトラックを運転していたらしい。そしてトンネルに入ったところで、そこに「停車していた」車に衝突した。なぜ、こんなところに車が停車していたのか? それは、パンクしたために、車を止めて(トンネル内で!)その修理をしていたのだ。そこにトラックが突っ込んだ。そして3台の車が炎上、5人が焼死した、ということのようだった。

車の免許を持っていればわかることだが、トンネル内の駐停車はかたく禁じられている。事故の危険が非常に高いからで、まともな神経のドライバーなら、なんとか徐行運転なりして(ただのパンクならそのぐらいできるはずだ)トンネルの外まで車を移動して修理するのが当たり前だろう。このとんでもない交通違反を犯したドライバーは、その後、罰金刑を受けている。——また、この運転手が働いていた運送会社の社長と営業部長は、運転手に対し、1日当たり10時間の時間外労働をさせていたとして書類送検され、罰金刑を受けている。「1日10時間の労働」ではない。10時間の「時間外労働」、すなわち1日18時間、働かせていたのだ。

僕の感覚からすれば、この事故でもっとも責任を問われるべきは、まともな運転ができないまでに長時間の労働を強いていた会社の責任者、次が「事故を起こして下さい」といわんばかりの場所に車を止めていたドライバーだろう。その重大な責任を負うべき二者がただの罰金で、事故を起こしたトラックの運転手が懲役4年の実刑判決とは・・。僕には、どうしてもこの被告が「被害者」に見えてしまうのだ。——判決では「被告が体調不良で運転できないと会社に申し出なかったのだから会社側が仕事をさせたのは当たり前で、安全運転の責任は第一に運転者が負うべきだ」という。だが、これは弱小運送会社の実情を知らないからそんなことがいえるんでないのか。ほとんどの運転手が超過勤務状態でふらふらなのに、そうそう休まれてたまるか、という無言の圧力があったんじゃないか。そして、そうまでして超過勤務で働かなければとても生活していけないという事情もあったんじゃないのか。

そう考えると、実はこの事故でもっとも大きな責任を負うべき人間は、当事者とは別のところにいることがわかってくる。それは、「想像以上の長時間労働を、とても喰っていけないぐらいの低賃金で請け負わなければならないまでに運転手と運送会社を追いつめた何者か」である。それは、たとえば運送に関する費用をぎりぎりまで切り詰めて仕事を発注する大企業であるだろう。前にブログで書いたように、多くの低価格化は、弱いところから死んでいくシステムで成り立っているのだ。そして、たとえば少しでも安い料金を要求し続ける、我々消費者もだろう。

この車社会を昔に戻すことなどできない。ならば、車社会を維持していくためのコストをもう少し考えるべきではないか。車というと、「排ガス規制」だの「低公害」だのといった環境問題についてはずいぶんと話題になるが、「車社会を維持するために犠牲を強いられている人間」についてはほとんど顧みられることがない。交通事故の犠牲者だけが交通社会の被害者ではない。その加害者も、多くの場合、被害者である。むろん、「親にせびって買ってもらった車を猛スピードでぶっとばして歩行者を片っ端からひき殺した」というような大バカ野郎もいるだろうが、事故を起こした人間の中には、被害者としかいいようがない人間だっているのだ。

判決の後、被告である元トラック運転手は、「実刑はやむを得ず、被害者の方の感情を考え控訴はしない」と話しているという。早く罪を償い、もう一度、幸せな暮らしを取り戻せるよう願うばかりだ。これで「人生おしまい」としたら、あまりに悲しすぎる。

公開日: 水 - 2月 9, 2005 at 06:48 午後        


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