個性って、なに?


個性が欲しい、個性が重要、個性的になりたい。
そういう人の多くは、たいてい「多くの人が個性的と思うのと同じ個性的さ」が欲しかったりするんだよね。

若い頃、「個性的な人間になりたい」と思った。というか、そう思わない人の方がきっと少ないだろうと思う。今でも、多くの若者は自分の「個性」をとことん大切にしようとする。個性、自分らしさ、他人とは違う何か。そういうもの。

でも、よくテレビのインタビューだので出てくる「若者の個性」というのは、なぜにこうも画一的なんだろう。みんながみんな、同じような個性をほしがるんだよね(笑)。——例えば、「オレってばバンドとかやってるしぃ、ちょっと個性的かも」と全身でアピールしてる人の多くは、みんなそろいも揃ってロッカーで、ビジュアル系であったりヘビメタであったりする。絶対に「民謡」とか「カントリー&ウェスタン」とかではないんだよね。

個性を「他人とは違う何か」と規定した場合、多くの人が求める個性は、「自分とは関係ない世間一般とは異なっているけれど、自分の周りの人たちとは一緒なもの」なんだよね。世間とは違う、だから一見すると「個性的」と見える。けれど、実は自分たち狭い範囲の間では「みんないっしょ」の安心感が得られる。そういう、安全な個性が欲しいのだ。それって、はたして「個性的」なんだろうか。

社会人になると、自分の身の回りと世間一般がほぼ同じものになってくる。だから結果として「世間と同じ」という価値観になってしまう。だけど、実は「世間」というのは、本当は自分の周りの人たちのことでしかなかったりする。ご近所や仕事の上司や後輩や、そういった身近な人たち、世間の正体というのは実はそうしたものだったりする。「自分の周りの人々と同じ価値観」という点では、若者も大人もたいして違いはないんだよね。違うのは、単に「自分の周りにいる人間層」だけなんだ。

個性を尊重する時代、という。入社試験なども、個性を持った人間を採用する方向にある、という。けれど、それは「会社にとって都合のいい個性」を持った人であったりするんだよね。「会社の不利益になるような個性」は、どんなに個性的でも認められない。会社に限らず、社会という中で生きていく以上、「その中で許容された範囲内での個性」でなければダメなんだ。「人を殺して切り刻んでビルの屋上からまくのが趣味」というような個性は絶対に認められないんだな。世間一般の、多くの人からは少しずれているけれど世間一般の許容範囲内におさまる個性。そういう絶妙のバランスの個性というものをみんな求めているんだ。そりゃあ、難しかろうよ手に入れるのは。

もういい加減、「個性」なんてものに重きを置くのはやめない? どーでもいいじゃん個性なんて。生まれてきて、今まで生きてきた自分の人生を考えただけで、十分人はそれぞれ個性的だよ。あんたと同じ人生、価値観の人間なんて世界中探しだっていないんだ。それで十分じゃない?

脱・個性。個性なんていらない。——ねえねえ、これって、けっこう個性的でない?

公開日: 日 - 1月 18, 2004 at 05:43 午後        


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