パラリンピック


パラリンピック、見てる? 僕はどうも苦手なのだ。

なんの気なしにつけたテレビがNHKになっていて、嫁は見る気もなしにパラリンピックを見たらしい。僕はその場にいなかったのだけど、後でそのときの放送をいろいろ話してくれた。——パラリンピック、みんな見てるんだろうか? 既に世間では「オリンピックは終わった」という空気になっているように思う。今でも熱心に戦っている人たちがいるのだってこと、多くの人はすっかり忘れてるのかも知れない。

僕は、パラリンピックを見ない。それは、オリンピックを見ないのと同じ理由でもあるし、微妙に異なる理由もある。端的にいえば、「どんな顔をしてみればいいのかわからない」のだ。

理由その1。パラリンピックの放送などを見ていると、僕の中のどこかにどうしても「これは見せ物ではないのか」という感覚がぬぐい去れないのだ。もちろん、彼らは一所懸命に練習し、晴れの舞台で戦っているのだ。彼らにそんな感覚などまったくないだろうと思う。けれど、それを健常者である僕らがテレビで眺めるというところに、どうしてもすんなり受け入れ難いものを感じてしまう。
 「なんですってっ?! パラリンピックが見せ物だなんて、なんてことをいうの! だいたい、それはオリンピックだって同じじゃないのっ、きいいいいいっ」という人もいるのはわかってる。——その通り、僕はオリンピックは「見せ物」だと思っている。最初から見せ物であることをわかった上で放映し、見る。だから、そこに違和感はない。

オリンピックは一応アマチュアスポーツとはいうけれど、ほとんど国家レベルのスポーツプロの戦いだ。プロの試合というのは、それがどのようなものであれ、見せ物である。野球であれ、サッカーであれ、ボクシングであれ、将棋であれ、チェスであれ、プロは試合で金を稼ぎ、それをみんなが見て楽しむ。これは立派な見せ物だ。そうでない? 見せ物という言葉が悪ければ「ショウ」といってもいい。オリンピックは、立派なショウである。こういえば、納得できる人も多いだろう。

——が。パラリンピックを、僕らは「これは見せ物である(ショウである)」と思って見ているだろうか。僕らの中には、「これは断じて見せ物なんかじゃないだ。彼らの素晴らしい戦いを見せてもらい、感動を分けてもらうんだ」的な、微妙に偽善的な臭いを感じてしまうのだ。特に日本では「これは見せ物であり、ショウとして楽しむ」ということは決して口にしてはいけないような雰囲気がある。
 日本では障害者のスポーツというものを、常に感動的な美しいものとして表現しなければならないという不問律があるようだ。そのあたりの感覚がどうもこそばゆい。なんとも歯がゆい。なにより、自分の中に「これはショウだ」と割り切って見ることのできない自分がいる。どうしてもうまくその辺りを割り切ることができないのだ。

そして、理由その2。パラリンピックで活躍している障害者たちは、常に「一部の恵まれた障害者」であるという感覚が拭いきれない。上位にランクされるのは常に先進諸国の選手であり、アフリカや中東、中南米などの選手の姿を見ることはあまりない。障害を克服するためのさまざまな機器、医療体制、そして経済的な支援、そうしたものを十分に受けられるものだけがパラリンピックで活躍できる。アフガニスタンで地雷で足をなくし、難民キャンプで食うや食わずの暮らしを強いられている中から選手はおそらく出てこないだろう。パラリンピックは、オリンピック以上に「恵まれた国の恵まれた人のための大会」になってはいないだろうか。そういうことがいつも頭のどこかに引っかかってしまうんだな。

・・日本では、障害者というものの扱いがかなり歪んでいる。かつては、障害者は「かたわもの」であり、まともな人間としては扱われなかった。それがいつの頃からが急速に立場が逆転し、今は障害者は「みんなすごく立派な人たち」に祭り上げられてしまっている感がある。彼らが必死に生きる姿は美しく、感動的であり、僕らには真似のできないすばらしい人たちだ、みたいな。——障害者の中にも、悪いやつやイヤなやつ、ろくでなしもいるだろう。悪人が障害者になった途端、心を入れ替えて善人になるわけでもないだろう。前に障害者の性に関するレポートを読んだことがあったけど、そこである女性が「私、障害者には性欲なんてないと思ってました」とかいってたのを覚えている。障害者だって女とやりたくて発狂しそうになることもあるだろう。彼らは、健常者よりすばらしいわけでもないし、劣っているわけでもない。ただ、少し違っているだけだ。

だが、日本では「自分たちより上か、下か」という見方しかできない人々が圧倒的に多い気がする。ついこの間までは障害者を役立たずまがいの扱いをしていた人々が、いつの間にかパラリンピックで涙し、彼らを美しく立派な人々であるという。その感覚に、僕はついていけない。——それが、理由その3だ。


こういうことをいうやつは、日本ではたいてい袋だたきにしていいことになっている。なので、僕はどうもこのパラリンピックというやつを敬遠している。君子、危うきに近寄らず、というやつだ。もう近寄っちゃったけど。ま、君子でないからいっか。

公開日: 火 - 9月 28, 2004 at 02:42 午後        


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