静かになったNHK


そういえば、最近、めっきりNHKの集金人を見なくなったな。

郵便局の話で思い出した。最近、昔はイヤになるほどやってきたのに最近めっきり見かけなくなった営業マンがいる。それは、「NHK」という会社の営業だ。ここの「受信料集金人」という人間は、なかなかにしつこかったのだけど、この千葉に引っ越して1〜2度来たぐらいで、その後すっかりやってこなくなった。もうさすがに「この家に受信料を払わせるのは無理だ」とわかったんだろうか。

ときどき「なんで受信料払わないんですか? NHK見てるんでしょ?」という人を見かけることがある。その通り、見てますよNHK。特に新選組、毎週欠かさず見てますよ。それなのになぜ払わないのか。そりゃ、「払う義務がないから」です。払わなくてもいいものを、なぜ払わないといけないの? うちはそれほど裕福じゃないよ。税金だろうが保険だろうが年金だろうが、払わないといけないものはすべてきちんと払っております。が、払う必要のないものまでわざわざ払わないよ。

なにより、NHKが「相手の無知を利用して金を納めさせようとしている」という時点で、頭の中で「カチン!」とスイッチが入ってしまうんだよな。「反骨」というスイッチが。これはもう、そういう性分なんでどうしようもない。体のでかい高校生がナイフをちらつかせて「おやじ、金出せよぉ」とかいわれたらほいほい出しちゃうだろうけど、相手が「権力」といったものをちらつかせてきた場合には「死んでも出すもんか」と思ってしまったりする。

まず、「NHKの受信料は払わないといけない」と思っている人へ。受信料を払わないといけないという法律はありません。法律で決まっているのは「契約した人は払わないといけない」ということだけ。要するに、テレビを持っていて受信契約をした人は払わないといけない、というだけのことであります。

「でも、テレビを持っている人はみんな自動的に契約したことになってるんじゃないの?」という人。それは間違いです。受信契約は「義務」ではありません。契約するのは自由なのです。また、「テレビを買ったら自動的に契約したことになる」わけではありません。必ず受信契約書にサインをして受信契約を結んでいるのです。うちは、受信契約はしてません。だから受信料は払わない。当たり前のことで、何の不都合もない。

(ちなみに、多くの人は「受信契約なんてした覚えはないし、契約書なんて書いた覚えもない。引っ越したらNHKの人が来て、すぐに「受信料を払って下さい」っていわれたぞ」と思うかも知れない。が、あなたはとんでもない勘違いをしでかしている。しょうがなくあなたがお金を払おうとしたとき、NHKの集金人は「それじゃここにサインか印鑑をお願いします」と用紙を出したことだろう。あなたは、それを受領書かなにかと思い込んでサインをしたはずだ。あのサインした紙こそが「受信契約書」なのである。その瞬間、あなたはうまく騙されて受信契約を結ばされてしまっていたのだ)

「でも、NHKの人に義務だっていわれた」という人。たぶん、NHKの人間は「義務だ」とはいっていないはず。もっと回りくどい言い方で、あなたが「義務なんだな」と思い込むような話し方をしているだけだ。嘘だと思ったら、今度、はっきりと聞いてみて下さい。「NHKとの受信契約は義務なんですか?」と。彼らは絶対に「義務だ」とはいわない。なぜって?

なぜなら、もし「義務だ」といったら、NHKの受信契約は憲法違反になってしまうから。

このため、NHKは国会答弁でも逓信委員会でも一切「義務だ」とはいっていないのであります。自衛隊を「軍隊だ」といってはならないのと同じで、NHKは絶対に「義務だ」とはいえないのです。そして義務でない以上、契約は任意です。イヤなら契約しなくていいのです。——が、多くの人はそこまで知らない。知らないでNHKの人間に「法律で決まってますから」などといわれ、相手の嘘に気づかないまま契約してしまうのだ。
 もし、受信料集金人が「いや、契約は義務ですよ」といったなら、「本当ですね? 国会でNHKや政府の役人が『義務ではない』といってましたけど、それじゃあNHKの代表は国会で偽証したんですね? 今からNHKに電話して『集金人の○○さんが契約は義務だといってたけど本当ですか?』と確認させてもらいますけどいいですね?」と念を押してみましょう。

(ちなみに、現在では消費者契約法により、契約内容についてきちんとした説明を行なわなければいけないことになってる。NHKもこの法律の適用を受ける。なので、きちんとした説明がない場合は、消費者契約法違反として解約請求できます

もうすぐテレビはすべてがデジタルになる。そうなれば、契約しないと見られないようになるだろう。僕個人としては、そういう時代がやってくることを願っている。そうなれば、僕はちゃんと受信料を払ってテレビを見る。「へっ、結局、見られなくなったら払うわけか」と思った人。——僕は「見たい人はお金を払ってみる、見たくない人は払うのをやめて見ない、それが本来の正しい姿である」ということをいっているのだ。今のように「見たい、見たくないといった本人の意思とは関係なく半ば強制的に電波が送りつけられ、金が徴収される」というあり方には絶対に賛同できない、といっているのだ。そして、賛同できないという意思を明確にするもっとも有効な方法、それが「契約しないこと」であり「払わないこと」なのだ。

早く、「お金を払ってNHKを見る」ことができる日のやってくることを僕は願っている。そうなれば、NHKは今よりマシなものになるような気がする。少なくとも一人一人が自分の意志でお金を払うか否かを決めるようになるのだから。少なくとも、そういうことまで考えようとせず、「なんとなく」払う人間は減るだろう。一人一人が自分の払ったお金の使い方を意識するようになったときに、世の中は変わるのだ。(だから、同じ理由で、僕は消費税を外税にすべきと思うし、源泉徴収を廃止するべきだと思っている。自分から意識して税金を払うことから世の中は変わるのだ)

NHKよりも、もっとも問題なのは「何も考えずに払う人間」がいる、ということではないだろうか。払うにしろ払わないにしろ、自分がなぜそうするのか、考えることを放棄している人間が多いのではないか。そして「考えることを放棄する」のは、「考えた上で悪いことをする」よりも更に悪いと僕は思うのだ。——これを読んだ皆さん。あなたは、「なぜ」受信料を払うのか。あるいは、払わないのか。一度、じっくり考えてみて下さい。

公開日: 金 - 8月 27, 2004 at 04:24 午後        


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