テロに屈する、ということ


日本人の被害者が出て以後、この言葉をよく耳にする。
だけど、「テロに屈する」というのはどういうことなのだろうか?

多くの政治家だのが「テロに屈する」という言葉を使っている。「テロに屈することはできない」から自衛隊派遣はあくまで行う、とか。だけど「テロに屈する」とは、どういうことなんだろう? 「脅しにびびって、いいなりになってしまう」ということをいっているんだろうか。——「自衛隊派遣」とかそういう1つ1つの細かい事柄でなく、もっと大きなところから「テロに屈する」とはどういうことなのか、みんな一度考えてみないか。

アフガニスタン戦争、イラク戦争、それらはすべて「テロリストの撲滅」を名目にして行われてきた。——どうすればテロをなくせるのか。米国は、「テロリストを皆殺しにする」という意見だろうと思う。少なくとも、今までの米国の行動を見れば、そういうことを考えているのだと思うしかない。そして、それこそが「テロに屈しない」ということだ、と思っているのだろう。では、それができればテロリストは本当にいなくなるのだろうか。——おそらく、一時的には。だが、何年かした後、それまで以上に多くのテロリストが誕生するだろう。そのことは確信できる。

なぜ、米国は「テロを根絶する」と考えるのか。それは、あの世界貿易センターのテロにより多くの命を失ったからだ。だから「テロを絶対に許さない」と思ったからだ。では、なぜテロリストは米国人を殺すのだろうか。それは、彼らもまた、米国により多くの命を失ったからだ。だから「米国を絶対に許さない」と思ったからだ。——テロリストは、どこぞの国の殺人犯のように「殺人に興味があったから」とか、「かっとなったから」とか「叱られたから」とかいった理由で人を殺すのではない。もちろん、生まれながらに人を殺すのが楽しい殺人鬼でもないはずだ。人間は、テロリストとして生まれてくるわけではない。テロリストに「なる」のだ。

以前、ブッシュ大統領が演説の中で「暴力には絶対に屈しない。暴力には暴力で返してやるのだ」というようなことを演説していたのを聞いて仰天したことがある。これこそ、まさにテロリストが常日頃から主張しているものじゃないか。テロリストと全く同じ考え、同じ行動で、テロを否定することができるのか。——「大切な人間を殺された」というのは悲しいことだ。殺した相手に対して強い憎しみを抱くのは仕方のないことだ。だが、「だから相手を殺す」というのは、つまり「テロリストの行動と考えが正しい」ことを証明してしまうのではないか。そして、「テロリストは正しい」と認めることこそ、「テロに屈する」ということではないだろうか。

「テロに屈する」ということ、それは「暴力に屈する」ということだ。「暴力の力を認め、暴力を振るうことによって物事は解決できる」と認める、ということだ。——暴力に暴力で返す。お互いに暴力を振るい、より大きな暴力を振るった方が勝つ。それはいずれが勝ったとしても「どちらも暴力の神にひれ伏した」ということでしかない。暴力の神に屈しないためには、「暴力がすべてに勝つ」ことを決して認めないことだ。「人間は、暴力で屈服させることは絶対にできない」ということを証明することだ。

もちろん、それは並大抵のことじゃないだろう。だが、小泉首相、ブッシュ大統領。あなた方が「自分は偉い人間である」と思うなら、きっとできるはずだ。かのガンジーができたのだ、あなた方のような立派な人間ができないはずはない、でしょう? 「ガンジーほどは、とても・・」ですか? でも、少なくとも「テロリストと同レベルのことしかできない」はずはない、でしょう? いかが?

公開日: 火 - 12月 2, 2003 at 04:24 午後        


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