9.11


それは、喜びの日。少なくとも、我が家にとっては。

9月11日が、なんとなく過ぎてしまった。何か書かないとなぁ、こういう日なんだし、と思いつつもばたばたしてたもんで通り過ぎてしまった。いかんね。とても大切な日だったのに。なにしろ、娘が誕生した日なのだから。

そう。我が家にとって、9月11日は、娘の誕生日という大切な日である。だが、世の中では「同時多発テロの日」ということになってしまっていて、それが常識のようになってしまったようだ。これは、定着してしまうんだろうか。娘が小学校に上がった頃になっても、引き続いて「テロの日」といわれ続けるのだろうか。それが困る。「テロの日」に、お友達を集めて楽しく誕生パーティなんて、なんとな〜く非常識な雰囲気がしてしまうではないか。

ニューヨークのテロうんぬんというのは脇においてね。こういう「世間一般の常識がなんとなくそれぞれの生活の中に押し付けられる」ことっていうのはよくある。例えば、古くなるけど昭和天皇が亡くなられる時、その前の1ヶ月ぐらい、国中が謹慎ムードになって、お祝い事とか全部キャンセルされてひたすら「一億総ご回復御祈念いたしますモード」になったことがあった。ああいうのが、キライだ。僕は昭和天皇は決して嫌いではなかったけれど、それとこれは別だ。

つらい出来事にぶつかったり、悲しみの中から抜け出せないでいたりしている人のすぐ隣で、楽しくて笑い声がつきない人がいる。それが、世の中だ。それが正常な形なのだと思う。それが、どのような理由であれ、「楽しい人もみんな悲しみを表現しなければいけない」とされるのは、どこか異常なのだと思う。テロで大切な人をなくし悲しみに暮れるすぐ隣で、「お誕生日おめでとう〜!」と楽しくパーティをしている家族がある、それがなぜいけないのだ? なぜ、そうした世の中のごく当たり前の姿を「不謹慎」だのといったものに結びつけるのだろう。そういう感覚が僕にはわからない。

「何をいってやがんだ。人の気持ちがわからないのか。悲しんでいる人の立場を思ってみろ」といわれるかも知れない。それはもちろんそうだ。だがね、僕は思うのだ。悲しんでいるすべての人間のために喜ぶことを我慢したら、僕らは一生の間、一度も喜ぶことはできないはずではないか。今、この瞬間にも、自分のすぐ回りのどこかで悲しみに暮れている人間が必ずいる。僕らは常に「この人たちは悲しんでいても自分には関係ないからいい。この人たちは、世間的に重要な人たちだから注意しないといけない」と、共感すべき悲しみの取捨選択を行なっている。僕がいいたいのは、そこのところなのだ。一部の人間の悲しみだけをとって付けたように悲しむくらいなら、どこで誰が悲しんでいようと、自分の喜びは素直に表した方がはるかにマシだ、と。

テロの日。多くの人々が亡くなった、悲しみに暮れる日だ。テレビでも何らかの形で報道がなされていた。だが、亡くなった人たちの中に、日本人がいなかったら僕らの感じ方はどうだったろうか。また、テロが起こったのがニューヨークではなくバグダッドだったら、どうだったろうか。——僕らは、共感すべき悲しみを常に取捨選択している。そして圧倒的多くの悲しみを切り捨て、自分たちにとって共感しやすく重要である悲しみだけを共有し合っている。そのことは、忘れてはならない。「テロの日」を鮮明に覚えている多くの人へ。あなたは、バグダッドが陥落した日がいつだったか覚えているだろうか。イラクでは、ニューヨークのテロなどとは比較にならない多くの人が米国軍によって殺されているというのに、そのことを僕らはきれいさっぱり忘れている。僕らは、全ての人間の悲しみを常に共有し続けることなどできないのだ。

だから、僕は、自分にとってもっとも大切な人のための感情を最優先する。9月11日は、娘という命がこの世に誕生した記念すべき日。そのことが、僕にとっては何よりも大切なのだ。親が心から喜んであげなくて、誰がこの子を心から祝ってあげるのだ? すべての親は鬼子母神なのだ。

公開日: 日 - 9月 12, 2004 at 06:56 午後        


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