雨の一日


窓にかかる雨のしずくも、ログハウスなら絵になるのだ。

今日はすばらしい晴天の朝! これなら一日気持ち良く過ごせそう……と思っていたら、あれよあれよという間に雲が広がり、雨になってしまった。天気予報もいつの間にか雨に変わっている。(どうでもいいが、その日になって予報を変えるのやめてくれない? それって、ほとんど後だしジャンケンじゃないの。今日になって今日の天気を当てるぐらいなら素人にだってできるわ)

しょうがない、今日のところはおとなしく仕事をしよう。——僕の仕事場(書斎)は、家の一番西の端にある。端っこを2メートルばかり細長く切り取った形で、三角窓にDK窓、そして天窓までついている。雨が降ると、この天窓に「ぽつり、ぽつり」と雨粒が当たる音が聞こえる。これがなかなか風情があっていいのだ。

時折、二階のロフトから雨の公園を眺めながら一服。ログハウスは軒が長く、だいたい90センチほど家の壁から突き出している。だから風がそれほどなければ、窓を開けても雨が当たることはない。時にはダイニングのフレンチドアを開けて、外の空気を吸いながらウッドデッキに落ちる雨を眺めたりするのもまた楽しい。

軒先からぼんやり景色を眺めながら……そういえば、こういう光景、昔どこかで見たことがあったな。ふと思い出した。——そうだ。その昔の家というのは、たいていは縁側があり、その向こうに深い軒があった。だから縁側を開け放しても雨は降り込んでこず、雨が降るのを家の中から引き戸を全開して眺められたのだ。帰り道、どこかの家の軒を借りて雨宿りした経験、誰しもあることだろう。「軒」は、家の中と外とをつなぐ、大切な中間スペースだったのだ。

それが気がつけば、周りの新しい家々はどこもかしこもつんつるてんの軒先だ。申し訳ばかりの軒があるだけで、窓の内側と外側の「間」がない。壁の向こうはすぐに「外」。きっちりと内と外を分け、中でも外でもない曖昧な空間を許さない。軒先すら誰とも貸し借りできない家ばかりになってしまった。そもそも、勝手に敷地内に入ることすらできないのでは、雨宿りもへったくれもないのだろう。

我が家は玄関ドアの外はウッドデッキがあり、そこに幅2メートル40センチの屋根がかかっている。娘の友達が5人でも10人でも楽々雨宿りできる空間だ。子供たち、雨が降ったら、いつでも借りてらっしゃいな。


2階のロフトにある三角のフィクス窓から、通りの向こうの公園を眺める。
雨の公園も、風情があっていいものだ。
深い軒のおかげで、多少の風ぐらいでは窓もぬれない。


横風が強くなり、窓を雨が濡らし始めた。
窓を伝う雨粒さえ、どことはなしに風情を感じない?

公開日: 月 - 12月 3, 2007 at 01:14 午後        


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