「千葉の法則」は生きているか?


千葉では、おいしそうな店ほどまずく、まずそうな店ほどうまい。これは果たして真理か?

その昔、まだ若葉区に住んでいた頃に、こういう我が家にだけ通じる「千葉の法則」というのがあった。本当に、おいしそうに見える店がことごとくまずかったのだ。それは果たして市原に来ても通ずるものなのか?というのは、正直興味があった。

実際、この地に暮らし始めてみると、うーん、微妙な気がする。——確かに、見かけだけこぎれいで、食べると「金返せ!」という店はあちこちにあった。五井駅前のルッコラ。付け合わせに冷凍食品使ってんのかお前ら! 国分寺台のブーランジェリーボンボン。何日も放置したような何の香りもしないパンを並べるな! おいしいお店もあるけれど、「お前ら、見かけだけカッコ良くすりゃ騙されて客がくるとでも思ってんのかよ、けっ!」といった店も多い。そうしたお店を思い出すと、確かにこの法則は生きている気もする。

が、以前住んでいた若葉区とは決定的に違う点が一つある。それは、「まともな店にも、ちゃんとお客が来て、生き残っていける」という点だ。前に住んでいた都賀のあたりでは、地味だがちゃんとしたものを作る店が次々とつぶれ、ファミレスに変わっていった。ところが、この市原では、個人経営の地道な店がけっこうちゃんとやっていってるのだ。市役所通りに並ぶファミレスはいつもヤンママでいっぱいだけど、それ以外の個人経営のお店にもちゃんとお客が入っている。

「市原は、食の不毛地帯だ」と耳にした。それは、「みんな味音痴ばっかりじゃねーか!」という叫びでもあったように思う。確かに、大半の人間は、味とは無関係に、おっされ〜な店にいって喜ぶ。だが、そうでない人間もちゃんといる。それだけでもたいしたもんだ。「食のサハラ砂漠」だった若葉区からやってきた人間としてはそう思う。

最近、暇さえあれば通っているパン屋さん「麦麦堂」。大通りから少し入ったところにある、何の変哲もないこじんまりとしたパン屋さんだ。取り立てて特徴もない。店も狭く、品数も少ない。ところが、ここのパンは、どれ一つをとってみても、すばらしくうまいものばかりなのだ。焼きそばパンなど「あんなもの人間の食うものじゃない」と吐き捨てていた妻が「焼きそばパンの焼きそばがおいしいなんて初めて!」と感嘆する。カレーパンのカレーが「それだけほじりだしてご飯と食べたい」ぐらいにうまい。アンパンマンの顔だのを描いた子供騙しなパンの中にさえ、安いチョコレートクリームなんぞではなく、自家製のカスタードにココアを練り込んだ上質なクリームが入っている。しかもそれら総菜パンだの菓子パンだの子供パンだのといった、真っ当なパンからすれば「どーせパンの味なんてどーでもいんだろ、あんたら」的なものでさえ、すべて「これでもか」というぐらいにきっちりとおいしいパンを使って作ってある。

そうした真面目だけどあまり外観的には人気がなさそうなお店が、次々とつぶれていったのが、若葉区だった。市原では、そうした店がちゃんと育っている。そうした店にちゃんとお客が来ている。わかる人間はいるのだ、ここには。

昼間、娘が幼稚園に行っている間に妻とランチに出たりすると、その店内には家族で食事に来たりする人の姿を良く見かけた。ご高齢で、夫婦でランチにいらしたような方、子供と孫と一緒に食事を楽しみに来た人たち。そうした人たちをよく見かけた。友達とおしゃべりするならファミレスでもいいけれど、「今日はおいしいものを食べにいこう」となればきちんとそれなりのお店を知っていてそこにいく。そうした人たちが意外に多いのではないか。

この五井〜国分寺の界隈には、そうしたプチリッチな人たち(妻、「市原マダム」と命名)がけっこういる。いや、お金持ちという意味じゃない。お金の使い方を知っている人たちだ。同じ千円でも、どぶに捨てるような使い方もあれば、心から楽しい時間を過ごせる使い方もある。そうしたことのわかっている人間がそれなりにいるということは、この市原という地はなかなか捨てたもんじゃない、ということじゃないか。

以前住んでいた都賀のとあるあたりは、ぱっと見は文教地区的な家があちこちに立ち並ぶ新興住宅地だった。文化レベルの高い生活をしておりますのよおほほほ光線を投げかけている家々がずらりと立ち並んでいた。——だが、一歩中に入れば、家具も電化製品も雑貨も趣味のかけらもないようなものであふれた家ばかりだった。ちょっとしたものでも1つ1つていねいに選んで使っているような人々はほとんど見なかった。ただ、「素敵な暮らしをしている、と周りに思われたいだけ」な人々ばかり。人からどう見られるかばかりを気にして「自分は本当はどんなふうに暮らしたいのか」など考えたこともない、ただ「こうすれば素敵に暮らしているように見られるらしい」というマニュアルを見つけてなぞって暮らしているだけ、そんな人たちばかりが目についた。そんなところで、まともな文化など育つはずもないだろう。

千葉の法則は、そうした意味では「千葉市の法則」だったのかも知れない。少なくとも、そのままにこの市原で通用するわけではないようだ。最近、実は新しい法則が生まれつつあるように思う。それは、

我が家がうまいと思う店はうまい。

——ということ。って、こりゃ我が家にとっては当たり前だな。えーと、えーと、ちょっと待ってね……。あ、そうだ。

市原では、外観がいかにもおっしゃれ〜な店は、まずい。

これは、けっこう法則として通用するんでないかな、と思ったりしております。うまい店は、案外と地味な外観だったりすることが多い気がする。おいしい店で、それなりにとても気を使って演出している店でも、少なくとも「派手」なところはない。それは確かな感じだ。

多分、それは、「派手な外観だと、ヤンママばかりやってきて市原マダムが来ない」ということが原因ではないか、と内心思っていたりするのでありますが……。

公開日: 木 - 12月 27, 2007 at 05:02 午後        


©