綱吉ドラマ
・・は、そのへんの時代劇よりも意外に見所がたくさんあったぞ。
「将軍綱吉〜犬と呼ばれた男〜」というドラマをやっていたので、娘が寝静まったところでハードディスクに録画しておいたのを見てみる。——これ、「大型時代劇」と思ってみると肩すかしを食うね。ものすごく軽い。出てくる役者さんたちも「どう見ても時代劇には向かない」ような人ばかり。「桃太郎侍」の高橋英樹さんが一人だけ「あまりに時代劇らしくて」浮いていたのが笑った。
が。じゃあ「どーしようもない駄作」だったか、といえばそうでもない。ま、駄作は駄作なんだけど(笑)、意外にこれ、いわゆる「ちゃんとした時代劇」よりもしっかりしたところがたくさんあったのだ。なにより驚いたのは、「武士」というものの描き方。——冒頭、夜の町中に2人の武士が出てくる。そして、新しく手に入れた刀の切れ味を試すのに、その辺りに寝ていた浮浪者を切り捨て、笑いながら去っていく。・・そう、これが武士なのだ。こういう「武士なんてものは特権を手に入れたゴロツキみたいなものだ」という視点から作られた時代劇ってのは、初めてだったんじゃないか。
話は、将軍綱吉の「生類憐れみの令」を中心とした政と、同じ時期に起こった赤穂浪士による討ち入りが2大柱として語られていく。ここでも面白いのは、綱吉を通して「武士の忠義」というものに大きな疑問を投げかけたことだ。討ち入り後、吉良邸の中に累々と屍が晒された中で、綱吉が側用人の柳沢吉保にいう。「これが、お前のいう忠義なのか」と。亡き殿への「忠義」なんてものために、吉良本人だけでなく、そこで「忠義」を尽くして勤める何の罪もない無数の家士たちをすべて惨殺する。そんなにも多くの人間の命を犠牲にしてまで果たさなければいけないのか、「忠義」というやつは。もしそうならば、そんな忠義など不要だ。——将軍である綱吉だけが、そうした視点を持っていた、という発想は、まぁ「ありえねーよ」という突っ込みはあるけど(笑)、なかなかいいアイデアだ。
しばらく前に、「真の武士」だの「武士道」だのといったものを否定するブログを書いたところだっただけに、こうした視点の時代劇を、しかもゴールデンアワーに特番として作ったことにちょっと驚いた。これは、作り手の側に、かなりの覚悟がいったはずだ。こういう面白いことをやってのける制作者たちがまだいたのだね。——そういう目で見れば、役者が妙に現代劇っぽい人間ばかりだったことも、「狙い」だったのかと思えてくる。だいたい、その当時生きていた人間にとっては、その時代のドラマは「現代劇」なんだよね。江戸時代の人間がみんな日常の暮らしの中で時代劇みたいなもったいぶった喋り方をしていたわけがない。
おそらく、時代劇ファンからは酷評されたんでないかと思う。実際、生類憐れみの令以外の綱吉の司政についてはほとんど触れていないし、将軍が一人で夜中に外出するなど「いくらなんでもあり得ないだろ」という突っ込みどころも満載で、史実に忠実かという観点からすればかなりいい加減な感じはする。だけど、今のステレオタイプな時代劇というものに対する挑戦としての意義を、僕は高く評価したい。だいたい、本当に新しいものなんてのは、「それまでのものをもっとも熱烈に支持する人々」から総スカンを食うに決まっているのだ。その成したことを全否定される覚悟なしに、本当に新しいことなどできないのだよね。——というわけで、この素晴らしい駄作を作った制作者たちに、拍手!
公開日: 水 - 12月
29, 2004 at 01:50 午後