曜日の感覚
「今日は何曜日?」っていうのって、どういうものでわかる? 最近、ちょっと面白い感覚が身に付いたみたい。
勤め人なら週末がわからなくなることはないだろうけど、僕は自宅で仕事をしているので、あんまり週末という感覚がない。思い立ったが休日、という感じで生活しているので、どうしても「今日は何曜日?」というのがあいまいになる。以前は、そんなわけで曜日の感覚というのがほとんどなかった。
だけど、最近になってちょっと面白いことに気がついた。ふと「あれ? もう週末だっけ?」とか思ったとき、自然と「あるもの」を見て確認をしていることがあるのに気づいたのだ。あるものというのは、柱時計。
我が家のリビングには、高さが2メートル以上もある大きな柱時計、いわゆる「おじいさんの時計」がある。ドイツのアルピナ社というところが作った、かなり本格的なホール時計だ。これは重錘式(いわゆる、「おもり」式)というタイプで、3つの大きなおもりが垂れ下がっていて、これの重さで動いている。おもりは8日巻きとなっていて、だいたい週に一度、おもりを巻き上げる必要がある。
我が家では、たいてい日曜の午前中に、おもりを一番上まで巻き上げる。巻き上げられたおもりは、一週間かけてゆっくりと1メートルほど下まで降りてくる。そして振り子があるガラス窓から見えなくなった頃になると、また巻き上げられるのだ。
そう。毎週、日曜日になると巻き上げるというのが習慣となったためか、最近は「何曜日?」と思うと、自然と大時計のおもりを見るようになったのだ。その位置で、だいたいの曜日がわかる。まあ、そんなにぴたっとわかるっていうのじゃないけど、少なくともガラス窓の下まできていれば、土曜日だってことはわかる。このことに気づいて以来、少し面倒だった週末のおもりの巻き上げが、少し楽しくなった。——振り子のガラス窓の鍵を開け、白い手袋をして3つのおもりを順番に巻き上げ、それからまた鍵をかける。ときどき、1歳5ヶ月の愛娘が、横で「なんとかしてジャマしてやろう」と一所懸命、開けたガラス窓を閉めようとするのもまた楽しい。
生活を楽しむっていうのは、案外、こういうちょっとしたところから生ずるんだろうな、とふと思ったのでした。——ここ数日の新たな日課となりそうなのが、朝起きてから庭に出て、1つ1つの草木が芽吹いていないかチェックするという仕事。これが、日々見ていると、案外変化があるもんなんだね。ユキヤナギの芽が少しずつ開いてきたり、クリスマスローズの花が少しずつ持ち上がってきたり。少なくとも春爛漫となるまでは、天気がよければ日課として続きそうだ。
いつも歩いている通りの雑草を眺めたり、JRの高架橋の一番高いところから360度見える空を眺めたり。生活するというのは、そういうことなんじゃないだろうか。毎日、同じことの繰り返しの中に、ふと小さな変化を見つけて楽しむ。それができる人とできない人、それが見える人と見えない人。案外、そういうところで人生の良し悪しってのは分かれるのかもしれない。「つまらない毎日の繰り返しだ」という人って多いけど、それは「毎日がつまらない」のではなくて、案外、「毎日をつまらなくしている」というだけじゃないだろうか——なんてことを思ったのでした。
公開日: 土
- 3月 6, 2004 at 10:33 午後