本を飾る
飾るために本を買うなんて。そんなの信じられないわっ!
お昼を食べていたときのこと。嫁と、ちょっとしたことで白熱した(?)議論になったのでした。それは「読めもしないおしゃれな本をインテリアとして飾る」ということについて。——嫁は、雑貨とかそういう部屋の中を飾る類いのものが大好きだ。で、そういう「お部屋のインテリア大好き女性」たちの間では、昔の外国の本(ラテン語とかで書かれてる、表紙が革だったりする豪華でおしゃれな本ね)を棚に飾ったりする人がいる、っていうようなことを聞いて、「その感覚が理解できん」という話になったのであります。
どうも駄目なんだよね。そういう「読みもしない本を飾る」という感覚が。僕にとって、本は「読むもの」だ。だから、いかに見た目がきれいだろうと、読もうと全く思わない本を買ってきて飾る、というのが理解できない。「そういう本は、雑貨屋さんで売ってる。あれは本じゃなくて雑貨なんだ」と嫁はいうのだけど、どうしてもそういう割り切りができない。
多分、その根本のところには、「それがおしゃれですてき」とは全く思えない、ということがあるんだろうと思う。僕にとって、それはおしゃれじゃない。それどころか「ものすごく格好悪く恥ずかしいこと」だったりする。「読めもしない本を買ってきて飾る」というのがね。——例えば知り合いが来て、「わ〜すてきなお部屋」という。それはやっぱり嬉しいだろう。だけど、そこでその本を指差し、「わ〜、なんか難しそうな本。こんなの読んでるの?」とかもし聞かれでもしたら、僕は恥ずかしさのあまり部屋を飛び出してしまうんでないか。読めもしない本を、「すてきだから」と部屋に飾る。そういう自分があまりに情けなくて「このバカバカ!」と自分の頭をひっぱたきたくなる。
多分、世の大半の女性は嫁の味方なんだろう。そういう古い本はもはや本ではない、雑貨や小物なんだ。だからおしゃれなものを見つけて部屋に飾る。それがなんで悪いの? そういうことなんだろう。多分、それは正しいんだろう。ただ、僕はついていけない。みんなそうしてるとか、それがいいか悪いかとかいう問題じゃない。なんていうか、生理的に受け付けないんだろうと思う。嫁が「蜘蛛が大キライ」というのと似たようなものなんだと思う。(←と、子供の頃、庭で蜘蛛を飼っていたパパは思う)
僕が「なんてすてきなんだろう」と思う本棚。それは、美しくもなく、カッコよくもなく、古びてよれよれになった、手垢で真っ黒に変色した、そういう本がぎっしりと隙間なく詰め込まれ積み上げられている。そういう本棚。「使いに使いまくった本たち」が眠る本棚。それは、本にとって理想の人生(本生? 何かビールみたいだな)だ。幸せな本たちが詰まった本棚は、幸せに見えるんでないか。美しく生活感のない部屋より、雑多でも生きていることが実感できる部屋が僕は好きだ。
まぁ、見た目で本を選んで飾るのも、人それぞれだ。僕はイヤだけど、それを人にあれこれいう資格はない。ただ、せめて「そうやって飾る本の何倍かは『読む本』も飾ってね」と思うぐらいは許されるんでないか。千冊読んだ本があって、百冊飾るだけの本がある。それぐらいならこっちも我慢しようじゃないか。「本なんて読まない、けどきれいなのは飾る」じゃあ、あんまりだ。「本も読むし、飾りもする」ぐらいなら折り合いは付けられるんだけどね。——世の「インテリアにきれいな本を飾っている」皆さん。せめて、その十倍ぐらいは本を読んでね。
公開日: 月 - 11月 1, 2004 at 03:27 午後