PullとPushの間に


PullからPushに移行するに従い、物事は便利になり、そして不要なものへと変わっていく。

Thunderbird、引き続き使っております。なんかHTMLメール作成時のバグが見つかったとかで修正版が再配布となっていた。まぁ、僕はHTMLメールを自分で作って送るような性悪なことはしないので関係なかったけど、一応新しいのをダウンロードしなおす。Mozilla-Japanのサイトは猛烈に込んでいたようで、何度もリトライしてようやくつながる。かなりダウンロードが集中していたようだ。ってことは、かなりユーザも広まりつつあるのだな。よしよし。

で。メール本体についてはおいて。Thunderbirdになってかなり便利になったものが他にある。それは、RSSリーダーの機能が標準で搭載されたこと。RSSってのは最近になって広まりつつあるものだけど、そのサイトの更新情報などを決まったフォーマットに従ってアップしたもの。これを、RSSを読み込むリーダーで読み込めば、アップされた記事などがサイトにアクセスすることなく読めるというわけ。まぁ、RSSリーダー自体は今までにもいろいろ出ていたんだけど、メールソフトで標準的にRSSが読めるようになったというのは大きいのだ。(このTuyano Blogも、RSSが用意されているです。RSSリーダーをお使いの方は、以下のURLで登録してください)
/homepage.mac.com/tuyano/iblog/rss.xml

で。RSSのアカウントを作って、ニュースサイトなどを中心にいくつか登録してみた。すると——。おお、メールが一覧表示されるのと同じようにして、最新の記事が一覧表示される。クリックすれば、記事のWebページがメールの内容として表示される。こりゃあ便利だ。もちろん、メールと同じように定期的に更新をチェックして、新しい記事がアップされれば新着記事として表示してくれる。これなら、いちいちニュースサイトにアクセスして更新する必要もない。居ながらにして、新しい記事が出れば全部知らせてくれる。しかもThunderbirdには強力な検索機能があって、あらかじめ検索単語を設定したフォルダを用意しておけば、その検索語を含むものをすべて自動的に検索フォルダにピックアップしてくれる。何か気になった記事があったなら、その検索フォルダを置いておけば、新着の記事やメールを調べて見たい記事だけを自動的に探し出し整理してくれるわけだ。

朝日新聞やCNET、WIREDなどいくつかの情報サイトを登録し、注目記事の検索フォルダを用意すると、Webサイトを巡回する必要がほとんどなくなってしまった。時々、Thunderbirdが「ポーン」と新着を知らせてくれたら「よしよし」と届いた記事のヘッドラインをざっと流し読みするだけである。読みたくなければ放っておけばそのうち消える。それまで、Web上の情報というのは「Pull型(こっちから取りにいく)」だったのだけど、Thunderbirdのおかげで「Push型(向こうから持ってきてくれる)」になったわけだ。

PullからPushへ。これは、「情報の流れ」という点においては、とても大きな意味を持つ。Pullはこっちから能動的に情報へとアクセスしなければならない。たいしたものではなくとも手間がかかり、面倒だ。Pushは、黙っていてもこっちに送ってくれる。こちらは何もしなくてもいい。この差は大きい。だからこそ、様々な情報媒体は「PullからPushへ」移行するさまざまな技術を考えだす。Pullじゃダメだ、Pushにすればはるかに今よりよくなるはずだ、と信じて。

Thunderbirdにより、今までPullだったいくつものニュースサイトは、Pushとなった。僕は、黙っていても、居ながらにして最新情報を貰えるようになった。そして——だからこそ、手にする情報の価値は激減してしまったのだ。黙っていても手元には最新ニュースが次々と入ってくる。僕はざっとヘッドラインを眺め、たまに暇つぶしや息抜きに見たい記事をクリックして「へ〜」と思う。それだけだ。5分後には、読んだ内容など脳みそから消えている。

Pullだったころには、こうじゃなかった気がする。こっちから「さて、最新のニュースはどうなっているかな?」と見に行って、新しい情報から必要なものを探しピックアップしていく。そうして探し出した情報は、確かに僕に取って必要な情報であり、それは着実に脳みその片隅にストックされていたはずだ。それが「黙っていても届けてくれる」ようになった途端、それらは「別にたいして大切でもない」ものに堕してしまった。いつでも、何の苦労もなく手に入るものというのは、大切なものにはなり得ないのだ。

人は、本当に心から「欲しい、手に入れたい」と思えば、自分から必死になって情報を探り、見つけ出して手に入れようとするものだ。「そうまでするのは面倒だ」と思うなら、そう思った段階で、既にそれは「心から手に入れたいと思うもの」ではなくなっているのだ。そうじゃないだろうか。たとえ大切だと思っていたものでも、それが「いつでもどこでも、黙っていても届けてくれる」ようになると、次第に値打ちはなくなってくる。たとえ「一生に一度でいいから夕張メロンを吐くほど食いたい!」と思っていたとしても、毎日毎食、夕張メロンがまるごとデザートに出てきたら、半年もしないうちに飽き飽きしてくるに違いない。(←飽き飽きしてもいいから一度ぐらいは経験してみたいけど)

うちの嫁は、子供の頃、ブルボンの何とかいうお菓子(紫色のパッケージのやつ)が大好きで、大量に買い込んだそれを毎日毎日食べ続けた結果、今では見るのもイヤになっているそうだ。——大切なものは、苦労して手にいれるのがいい。大切なものを、何の苦労もなく好き放題に手に入れてはいけない。そういうことを思ったのでありました。

公開日: 火 - 12月 28, 2004 at 04:55 午後        


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