自分は自分をわかっている


自分は、自分のことをすべてわかっている。そう考えている人って多いけど、そうなのかなあ。

最近、娘の行動が変だ。いや、「面白い」というべきか。テレビでやっている体操やダンスを真似しようとしたり、親のすることを心なしか真似てみたりしているようで、その様がなんとも面白い。調子に乗ってパパはテレビの前に陣取り、「ほーら、ぐるぐるぐる〜、ドッカーン!」などと一所懸命に踊ってみせるのだが、両手を上に上げたりするのはわかるんだけど、まだ手をグルグル回したりといった動きになると難しいようだ。

娘を見ていると、「自分の体は自分のものだ」という当たり前と思っていたことが、実はそうではないことに気づかされる。娘は、自分の体を「自分のものにしようとしている真っ最中」なのだ。あれこれ経験して、「こうすると、あたしの体はこう動くんだわ」ということを学習しているのだね。それは、脳内のシナプスが形成されているのか、記憶として保存されているのか、そういうことはよくわからないのだけど、少なくとも「生まれたときから自動的に自分の体を自分の思い通りに動かせるようになっている」わけじゃないんだ。人間は、必死になって自分の体の動きをマスターしていくんだね。

そうなんだ。人は、時間をかけて「自分」を理解していくんだな。ところが成長するに従って、僕らはそのことを忘れてしまう。「自分は、自分のことをすべてわかってる。なにしろ、本人なんだから」と思ってしまったりする。そして、他人から「君は××だね」と指摘されたりすると「いいや、オレはそうじゃない。自分のことは自分が一番よくわかってるんだから」などと思ってしまったりする。

自分が自分のことを一番わかっていると思うのは、単に「自分が一番長く自分と接しているから」に過ぎない。だから、他人に比べて自分というものをより深くわかっている。だけど、本人だからこそ経験できない自分の部分というものもある。

例えば、自分は「自分の外から見た自分」に接した経験がない。だから、「自分が自分以外からどう見えるか」というのは、他人以上に自分はわからない。ところが、「いや、自分のことは自分が一番知っている」という思い込みにより、そんな単純なことを認めることができなかったりする。

娘は、ときどき「自分のやっていることが自分でよくわからない」といった顔をする。あるいは、何かやっているうちにイライラしてきて「なんだかわかんないけど泣くっ!」と泣きだしたり、「よくわかんないけどパパに甘えてみる」と抱きついてきたり。そうやって、自分を経験しているのだろう。大人になれば、自分の操縦はうまくなる。けれど、「うまくなった」だけだ。自分が自分を完全にコントロールできるわけじゃない。そのことを、このちっこい存在はたまに思い出させてくれる。

公開日: 火 - 3月 23, 2004 at 06:48 午後        


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