仕事の話はしないで!
仕事の話しかできない人間にはなりたくないものだ。
昨日今日とFirefoxのことを書いたら、とある人から「久しぶりにテクニカルライターらしいブログでした」といわれた(笑)。そういわれてみると、僕は一応、コンピュータ関係のライターというのを仕事にしているのに、このブログではコンピュータ関係の話というのがほとんど出てこない。これは別にわざとやっているわけではなくて——といいたいところだけど、実はちょびっとだけ「わざとやってる」ところがあったりする。
はっきりいって、コンピュータ関係のブログというのは「退屈」なのだ。まぁ、たまたま興味ある記事があったりすれば「ほうほう」と関心を持って読むことはある。けれど「今日はどんなことが書いてあるかな?」と毎日ウキウキしながら読む、というものではないような気がする。必要な情報は、専門のサイトなどでそれなりに手に入る。専門的なメーリングリストや掲示板も山ほどある。そうなると、あんまり「ブログでなければ」というものが思い浮かばない。
——もちろん、ブログってのは要するにWeb日記なわけで、日記に何を書こうがかまわない。だけど、一応文章を書くことを商売としている立場からすれば、「読んで退屈なことを承知の上で公開する」というのは罪悪ではないかと思ったりする。どうもそういう「公開するからには楽しんでもらわないと」という変なサービス精神を発揮してしまうらしく、「読んでもつまらないよな、こんな話」と思った時点で、それはボツになる。そうすると、どうもコンピュータ関係の話というのは、よっぽどのことがない限り「ボツの嵐」となってしまうのだ。
それにね。・・こういうとでっかい誤解を生むような気がするんだけど、個人のサイトの中まで仕事の話ばかりになってるような、そんな人間にはなりたくない、っていう思いがどっかにあるのだと思う。僕のサイトは、どうしても仕事関係の内容が中心になってる。本を出してる関係上、そのサポートページやら、作成したフリーウェアやらプログラミング関係のページやらが大半を占めている。なので、このmac.com側のサイトは、そうした仕事がらみのオフィシャルサイト(?)とは分けて、プライベートなサイトにしたいと思っている。そのプライベートなサイトまでが仕事に関する話ばかりになったら、何のために作ったかわからなくなる。
プライベートで仕事の話しかできない人間は、キライだ。その人の人間の幅が、いかにも狭いように見えてしまうからだ。更にいえば、話をするとき、「知識の公開」をすることしかできず、「考え方の公開」ができな人間というのも、キライだ。僕の関係するコンピュータ関係というのは、殊にそういう感が強い気がする。「こういう考え方がある」ということよりも、「こういうことをオレは知ってる」というほうが、なんとな〜く偉そうな立派そうな話に聞こえたりする。仕事柄とはいえ、コンピュータ関係のことばかり書いていると、じぶんがそういう種類の人間になっていくような気がしてしまう。それが何より怖い。
多分、世間的にはそういう人間の方が立派と思われるのだろう。仕事一途、家でも休日でも仕事のことで頭が一杯。そして家族を置き去りにしてどんどん出世し立派になっていく。そういうのがえらい人なんだろう。だが僕は、家でも仕事のことしか考えてないような父親にはなりたくない。「パパは、誰も教えてくれなかった面白いことをたくさん教えてくれる」と娘にいわれるような父親になりたいのだ僕は。
公開日: 金 - 11月 19, 2004 at 06:19 午後