壮大な失敗


ジェネシスが墜落した。失敗した(かも知れない)壮大な実験に、拍手。

NASAの無人探査機「ジェネシス」のカプセルが、回収に失敗し地面に激突した、というニュースがあったね。300億かけたプロジェクトだったのだけど、もし激突して破損してしまったとしたら、宇宙で集めたサンプルが地上で汚染されてしまったことになる。どのぐらいサンプルが影響を受けているのかわからないけど、もしサンプルが無事でなかったら大きな被害だ。いや、「被害」というのは、お金のことじゃない。このプロジェクトがうまくいけば得られただろう貴重なデータが失われたというのは、学術的に大きな損失と思うのだ。

この事故の意味合いは脇に置くとして、僕が気になったのは、そのニュースの伝え方だ。とあるテレビ局ではこんなキャッチで報道していた。「約300億円がパー? NASA、無人探査機の回収に失敗」と。なんとも皮肉った、ちっぽけな悪意を感じる伝え方だ。いかにも「あ〜らら、失敗しちゃった。もったいな〜い」という感じ。実際、そういう感じで受け取った人も多かったことだろう。

いや、うちはきちんと伝えている、というメディアもあるとは思う。だが、僕がざっと見た限りでは、無人探査機の名前「ジェネシス」を伝えたものさえ半分程度、ジェネシスがどんな目的で打ち上げられ、どういうサンプルを集めていたのかをきちんと伝えていたものは皆無だった。伝えたのは単に「300億円もかけていた」「地面に激突してこれは大失敗だ」ということだけ。要するに「これだけ金をかけたプロジェクトが失敗した」ということしか伝えようとしていないメディアがほとんどだった。

報道する側に、この種の理系な話を理解している人間が少ないということはあるのだろう。よくコンピュータやインターネットがらみのニュースでも、ときどき「???」と首を傾げるようなことを伝えたりしていることがある。別に、「理系の人間を入れろ」とかいっているんじゃないし、この種のことをすべて理解する必要はないだろう、だが「なぜ、この無人探査機は300億ものお金をかけて打ち上げられたのだろう?」とは、誰も思わなかったのだろうか? それがわからなければ、このプロジェクトが失敗した意味もわからないではないか。

そして、もう1つ。「失敗した」ことは、そんなに悪いことなのか。今回の報道から伝わるニュアンスの中に、僕は「出る杭を思い切り打ってやろう」というようなものを感じたのだ。なんかわかんないけどオレらにはわからないすごいことをやるんだと息巻いてたくせに、失敗しやがった。そういうニュアンスを。

日本では、よく「勇み足」という言葉が使われる。それも、たいていは「悪い意味」で。功を焦って失敗した、そういうニュアンスで。日本では「人より先に何かをやろうと試みた」ことより「失敗した」ことを重視する。——だが、欧米では「勇み足」はむしろ褒め言葉だ。彼らは「失敗した」ことよりも「人より先に何かをやろうと試みた」ことを高く評価する。確かに成功はしなかった、だが彼らの挑戦は讃えるべきことだ、と。

ジェネシスがなそうとしたこと。それは、地球からはるか太陽へと近づいていき、その重力が拮抗し釣り合う場所(第1ラグランジュ点という)で太陽から放出される粒子(太陽風)を採集しよう、というものだった。ジェネシスは「太陽を調べる」という、素晴らしく挑戦的な試みのための探査機だったのだ。彼らは果敢に挑戦し、そして失敗した。——かたや、日本はどうだ? 「金にならない」という理由から宇宙開発の費用は大幅に縮小され、人工衛星の打ち上げすら細々と行なわれている状況だ。そして打ち上げに失敗すると、ここぞとばかりに叩き、更に予算を縮小する。

宇宙開発に限らない。あらゆるところで、「失敗→予算縮小→やむなくこじんまりした目標に変更→平凡な結果でお茶を濁す」というような図式がまかり通ってはいまいか。どこかに「堂々と、回りが目をむくような斬新な失敗をしてみろ」というような腹の据わったリーダーはいないのか。

「今は、不況だ。国の財政も厳しい。そんな、お遊びみたいなことに金をかけてどうする」——そういう意見は、正しい。だがね、その一方で不良債権の後始末だの無用な財団法人への寄付金だのといったもので何千億、何兆という金を使っているのだぜ。「太陽系はどこからきたのか」という壮大な夢物語に300億捨てることぐらい、銀行1つつぶすことを考えれば安いもんじゃないか?

公開日: 木 - 9月 9, 2004 at 06:32 午後        


©