でもしか警官の時代


「警官でも」「警官ぐらいしか」で警察官になる時代なのか??

交番に「助けてくれ!」と駆け込んだのに、そのまま暴力団数名に拉致されていったという事件があったね。当初は「交番の中には入ってない」だの、「少し離れたところで揉めていた人がいた」だのといっていた警官たちが、ようやく「実は、そうでした」「ばれるとまずいので、口裏合わせをしてました」と供述し始めたそうであります。もはや、何かあっても警察に駆け込むべきではないのかもね。まだしも、暴力団の事務所に駆け込んだ方が、力になってくれるんでないか。それにしてもこの交番にいた警官たちは、一体、なぜ、何のために警官になろうと思ったのだろう。警察は、警察を守るためにしか働かないのか?

そういえば、かの桶川ストーカー事件の民事訴訟で、永らく店晒しにされていた刑事訴訟の判決正本がようやくできあがって提出されたという。民事訴訟では、刑事訴訟の判決の正本が必要になるらしいんだけど、普通は半年以内に作られる正本が、この事件に限っては2年も放置されて来たという。なぜ? 考えると、この事件がどういう事件だったのかということにたどり着く。被害者の女性が、ストーカーにおびえて何度も警察に訴えて「助けて下さい!」といっていたのに、それを放置し、あげくの果てに殺された、そういう事件。民事訴訟で訴えている相手は、その警察であり県であるわけだ。裁判所がなかなか正本を出さなかった理由は、そこにあるんじゃないのか? 結局、警察と裁判所はツーカーなのか?

警察とか、ある種の職業には「その職業に就きたい」という強烈な意思がなければいけないし、またなってはいけない。そう思う。人命に関わる職業を「なんとなく」とか「公務員だし失業ないし」とか「給料がいいし」などといった理由で選んで欲しくはない。こういうのは、これこれこういう理由で僕はぜっっっったいに警官になりたいんだ!という強い意志のある人間でなければなってはならないものだったはずだ。一体、いつの間にそうした感覚が失われてしまったのだろう。

教師などでも思うのだけど、ある特定の職業は、「学校を出てそのまま就職」という選び方を考え直すべき時期に来ているんじゃないだろうか。警官にしても、学校を出て、社会というものをろくに知らないで警察官になってしまうのはよいことなんだろうか。教師にしても、大学を出て社会経験もない先生を「師」と呼ぶ気になれるだろうか。考えてみて欲しい。世間的に見て『とても偉い人、立派な人』と思われるような職業に、すんなり入って来て、よその世界を知らずに世間からちやほやされて生きてきてしまった、という人が、立派で信頼できる人間になれるだろうか。僕には、どうもそう思えないのだ。会社勤めをしたこともない教師、若い頃にブイブイいわせて揉まれた経験のない警察官、優等生で何一つ失敗したことがなく苦労知らずの弁護士や裁判官、そういう人を僕はどうしても信用できないのだ。世間知ずの人間にこうした職業について欲しくはないのだ。

オリコウな人材ばかり集めるのはぼちぼちやめたら? そもそも十代の頃から「公務員になりたい」と思うような人間に、警察官をやって欲しくはないよ。もっと苦労してから「よし、世の中のためにオレが警官になってやろう」と思った人間がなれるような、そういう形に変わらんものかね? 考えてみてよ、関係各位さん。

公開日: 木 - 7月 22, 2004 at 07:29 午後        


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