正しい叱り方
・・なんてもんがあるのか? じゃあ、「正しい怒り方」もあるんだろうか。
皆様、あけましておめでとうございます。と三が日が過ぎてからいうところがTuyano
Blogらしいわね(笑)。——皆様のお宅では、正月はいかが過ごされたでしょうか。我が家では、「とにかくおうちでだらだらする」という、古来より連綿と続く正しい正月の過ごし方を実践しておりました。特にパパ(←オレオレ)は、日中は仕事場べったりなので、一日娘の相手をすることなんてあんまりない。で、体力の限界(←これが意外に早く来るんだ)まで遊んでおりました。
ところで。年末のどさくさにまぎれて、1〜3歳向けの雑誌なんぞを買ったりしていたんだけど、暇をみてそいつを何の気なしに読んでいて驚いた。お母さん向けの小冊子(これがなぜか絶対に「お父さん向け」はないんだよな)がついてたんだけど、そこに「正しい子供の叱り方」なんて記事がバーンと掲載されていたりしたのでした。曰く、「子供の叱り方を間違えると××な大人になってしまう」的な末恐ろしいことが書いてあったのであります。そして「誉めるときは、こう誉めましょう」「叱るときは、こう叱りましょう」というのがこまごまと書かれていたのでした。
例えば、誉め方の例から。——ご飯を全部食べられたら「○○ちゃん、すごーい!」と誉めてあげる、というのは「×」なんだそうですよ。正しくは「○○ちゃん、全部食べてくれてお母さん(くどいようだが、決してお父さんではない)嬉しいな」と誉める、のだそうです。また、お友達におもちゃを貸してあげたら、「まぁ、お友達に貸してあげて、偉かったね」と誉めてあげる、のは「×」なんだそうで。正解は「お友達に貸してあげて、やさしいんだね」と誉める、のだそうです。
どこがどう違うんだよおい、と思うだろうが、これは要するに「やったことを誉めると、それができなければダメな子なんだと思ってしまうかも知れない。それではいけない。お母さん(ほんとにくどいようだが、お父さんではない)が感じた素直な気持ちを伝えたり、子供の特徴や性格などを誉めてあげましょう、ということのようだ。なるほど。
では、「全部食べてくれて、お母さん嬉しいな」というのは「食べなければお母さんを悲しませるダメな子なんだ」と思ってしまうということはないのか? 「お友達に貸してあげて、やさしいんだね」というのは「貸してあげなかったらやさしくない子でお母さんに嫌われてしまうんだ」と思ってしまうことはないのか? といった突っ込みが即座に思い浮かぶことだろう。要するに「これを書いた人が、こういう言い方をいいと思い、こういう言い方を悪いと思っている」という以上のものは何もないように感じてしまうのは気のせいなんだろうか。
あまりこうした子供向けの雑誌などを買っていなかったので気づかなかったんだけど、こうした雑誌では「お母さんのため(ほんとにくどくて悪いんだけど、決してお父さんのためではない)」という記事などが必ずついてくるようだ。そして、ひょっとしたら、相当数のお母さんは、それを熱心に読んで「そうかそうか、そうしないといけないんだ」と思ってしまってるんじゃないか。そのことが僕はとても怖く感じたのだ。
その記事の筆者紹介をみたところ、社員教育などに長年のキャリアを持ち、小学生の息子を持つ一児の母でもある云々とある。しゃ、社員教育・・。それを幼児教育にそのまま応用しようってわけですかい? 「そういうことは、少なくとも自分の子供を一人前の大人に育ててからいいなさいよ」と嫁は突っ込んでおりました。全く持ってその通りであります。これで何年かして、この筆者の息子がとてつもない積み木崩し人間になってしまったりしたら、これを「ふんふん」と熱心に読んだお母さんたちにどう責任を取るつもりだろう。「ごめん、あたしの考えた通りにやったら、ちょっとダメみたい」じゃ済まないだろ。
うちも現在、子育ての真っ最中だから、お母さんお父さんの不安はよくわかる。うちは、2歳を過ぎても未だに言葉が遅れているので、ちょっとしたことでも「こういうことが何かに書いてあった」とかいわれると、「うちはそんなふうにしてないぞ、どうしよう、それが原因なんだろうか?」などと考え込んでしまったりすることもある。——そして、そうやって不安を与えることで商売をしている人間というのも、世の中にはたくさんいるのだよね。どんな親であれ、必ず一つや二つや十や二十や百や二百は「これはちゃんとやれてないよな」と思うことがあるものだ。そんなところへ「××をきちんとしていないと、将来、とんでもないことになりますよ」などと不安をあおり立てる言葉を耳にしたら、思わず「お願いします、どうしたらいいか教えて下さい」と飛びついてしまう人もいるだろう。
決して、幼児教育に関わる人たちすべてがそうした人間だと思っているわけじゃない。だが、「正解のないところ」に勝手に「これが正解」というものを持ち込み、人に不安を与えることで自分を売り込んでいる人間というのがけっこういるのは確かじゃないだろうか。その記事を読んで、つくづくそう思ったのでした。
では、お前はどういうことを信じて教育しようってんだ、と思う人もいるかも知れない。——僕が唯一考える教育方針。それは「世の中に反して正しいことを教えない」ということ。「正しいこと」であっても、それが世の中で常に通用するとは限らない。そうしたものを「正しいんだから」と無理強いすることだけはしたくないし、世の中に出たら通用しない正しい育て方をすることがいいとは全く思えない。——「やったことを誉めると、それができなければダメな子なんだと思ってしまうかも知れない」だからいけない、というのは、僕にはそうは思えないけどひょっとしたら正しい考え方なのかも知れない。だが、一歩家の外に出れば、「これができないからお前はダメだ」ということがごまんとあるのだ。世の中は、すべて「正しいこと」だけで成り立ってるわけじゃない。そうした世の中に出て行く人間を親は育てなければいけないんだ。
僕は、人間ができてない。だから、時には理不尽な怒り方もするだろう。それはよくないことはわかっている。だが世の中は、すべて「理屈にあった怒り方」をする人間だけで構成されているわけではない。家の中で純粋培養された子供が、果たしてそんな世の中で生きていけるものか。——親は、子供にとって「社会」なのである。そして、この社会は、理不尽で不合理な面を山ほど抱えたものなのだ。「正しいことだけしていればうまくいく」ような世の中ではない。そんな中へ出て行く子供を育てるのに、「正しい育て方」だけしてどうする。
——こういう考え方は、果たして「正しい」のかな? あの「正しい叱り方」を書いた偉い先生に訊いてみたい気がするな。
公開日: 火 - 1月 4, 2005 at 05:56 午後