シーシュポスごっこ


作っては捨て、作っては捨て・・を続けている。いや、仕事の話なんだけどさ。

目下、新しい開発環境の下調べをしている。それがリリースされるのに合わせて入門書を書くため、勉強中といったところなわけ。——で、まだ開発段階のものを使って調べているわけで、表示も当然すべて英語だし、まともなドキュメントもない。ま、これは毎度のことなんで別にいいんだけど、困るのは「作ったプログラムがすぐにダメになる」ことだ。

まだ開発途中のものをつかっているわけでバグや問題があるのはしょうがない。が、今回のソフトはかなり「おいおい、それだけはまずいだろ」というところでバグってくれる。まず、不用意にファイル類を勝手に修正してしまうと、プログラムが動かなくなる。それだけならまだしも、それを動かすサーバが起動しなくなる。こうなると再インストールするしかない。更には、作ったプログラムのソースコードが突然消える。ファイルを開くと完全な空のファイルに戻っている。そんなことがしょっちゅうだ。

もっとも、もう少し安全な(?)使い方をすればそこまでひどくはないんだろうけど、こっちはあれこれ実験して動作を調べていくのが仕事なわけで、あらかじめ教えられた使い方だけしかしないわけにはいかない。あれこれ頭をひねって「これをこうするとこういうことができるんじゃ?」と思って試す。と、ファイルが消える。再び最初から作り直してもう一度試す。サーバが止まる。再インストールしてまたもや試す。プロジェクト自体が消える。で、ようやく「どうやらこれはダメらしい」と気づく。・・・こういうことをこの3日ほど続けてきたわけだ。

こういう徒労のような全く先へ進むめどの立たない作業というのは人間を廃人にするにはベストだろうけど、食うために仕事をしなければいけない人間がやる類いのものではない。みんなもないだろうか、こういう徒労をやり続けなければいけないはめに陥ったことが。

この種の仕事は全くの無意味だ。時間の無駄だ。人生の無駄遣いだ。・・とこの2日の間思っていた。が、どうも今日あたりになってちょっと具合が違ってきている。徒労につながる原因が次第に見え始めてきたのだ。すると、同じ徒労であっても、「これをやると、多分、ファイルが消えるんだよな」と思って試す。消える。「なるほど」と納得する。——といった形になる。全くの徒労であったはずのものが、少し変化してきている。更にもっと続けていけば、「これこれこういう状況のときにこういうトラブルが起こる」ということがほぼ解明されることになる。それは開発元にフィードバックされ、正式版のブラッシュアップにつながる。ここに至って、この「徒労」と思っていたものは、実は徒労ではなく、意味ある作業だったのだ、ということにようやく気づく。

実際、世の中にはシーシュポス的な「無意味な労働」というものがある、と僕らは思っている。が、神話であれば「永遠に繰り返す」ということはあり得ても、実際の世の中ではそういうことは実はあんまりない。「同じことの繰り返し」と思えるものも、実はただ「変化が微細でわかりにくい」だけであったりする。途中でやめてしまったがために「同じことの繰り返しだ」と思っているだけで、ひょっとしたら、もう少し続けていたら劇的な変化があったのかも知れない。

よく、何かをやり続けて大成功したような人を、僕らは「へっ、オレだってもう少し頑張り続けてりゃこんなふうにできたんだ」とかえらそーにいってみたりすることがある。だけど、「徒労としか思えないことをやり続ける」というのは、実はけっこうな才能がいることじゃないだろうか。僕なんざ、3日がせいぜいだ。これ以上、徒労が続いていたら、きっと放り出していたろうと思う。世の中、決して「高度な知識や技術やテクニック」だけが成功をもたらすわけじゃない。誰もがやれるけれど、しかし「やり続けられない」といったことの中に、さまざまな成功が潜んでいるのかも知れないな、などとちょっと思ったのでした。

・・そうとでも思わなきゃ、この仕事、これ以上やってらんねーしな(笑)。

公開日: 土 - 5月 29, 2004 at 07:33 午後        


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