やるな、デジカメプリント


デジカメプリントをしてみた。なかなかやるじゃん、これ。

嫁の母、つまり義母に「愛娘の写真を送りますから」といいつつ、気がつけば引っ越して一年近くたとうとしている。こりゃいい加減、やらないとまずいぞ、ということで、プリンタを出して印刷してみたのだけど、これがインク切れになってるのか酷い出来。スジスジ状態で、とても見られた代物じゃない。我が家はカメラもビデオもデジタルだ。今更「写るんです」買ってきて写すわけにもいかんし・・。と思っていた時、思い出したのが「デジカメプリント」というやつ。

幸い、近所のD.P.E.でもやっていたので、さっそくいってみた。デジカメプリントっていうからデジカメ持ってけばいいのかと思って、苦労してデジカメの中にパソコンから写真を移して持っていってみたら、「デジカメからプリント」はできないんだと。要するにスマートメディアやらにいれて持ってかないといけないわけね。で、再びメディアに入れて持っていく。すると、なんと!受付の機械がエラーの嵐。全く認識してくれない。

店の人が慰めに「あっちにコイン式のもあるんですけど、そっちも試してみますか・・?」という。見ると、要するに「デジカメプリントの自動販売機バージョン」だな。メディアを入れてボタンを押していってお金を入れればプリントされる、という代物。受付の機械でダメならこっちもダメだろ、と思ってやってみたところ・・なんと!できてしまいました。(っても、途中、エラーはでまくったんだけどね)

このデジカメプリントというやつ、「家にプリンタあれば印刷できるじゃん」と思っていたんだけど、なかなかやります。実にきれいに、ほんと「写真みたい」にきれいにプリントされる。まぁ、でかいサイズならそれもわかる。1600×1200を写真サイズにすれば、そりゃ家のプリンタでもきれいに出るだろう。が、たかが640×480の写真でも、ネガ写真と全く変わらないクオリティでプリントされるのだ。これにはまいった。ドットやらジャギーやらは一切なし。実に自然な写真になる。

写真用の印画紙を使っていることに加え、Fujiフィルム独自の色調整と補完処理によってドットの見えないなめらかなプリントを実現しているらしいんだけど、さすがに金をとるだけあってたいしたもんです。時間も、10分ぐらい待てば20枚かそこらはプリントできる。1枚50円ってのが微妙なんだけど、とりあえず「デジカメの荒い画像でも写真のクオリティになる」んだからよしとしよう。

それにしても、実際、プリントしてミニアルバムに整理すると、デジカメの時代になっても「やっぱり写真はプリントしてなんぼだなあ」とつくづく思うのでした。いや、義母がパソコンがないからデジタルデータじゃ見られないとかそういうことではなくてね。パソコンの中で見られるデジタルデータだと、どうも「写真」という感じがしないんだな。実際、こうしてプリントしてみて初めて「ああ、写真だ」と感じるんだよね。

それは多分、「この一枚」という「もの」への慈しみがデジタルデータにはもてないからだろうと思う。養老さんがよく「頭では理解できず、体を動かして初めてわかることがある」というようなことをいうけれど、「データではわからず、『もの』という形になって初めてわかるもの」っていうのはあるんだよね。僕がアナログ人間だから? そうなんだろうか。それだけなんだろうか。

写真というのは、イメージデータではない。その手触り、アルバムをめくる感触、古くなった紙の臭い、そういうものすべてをひっくるめて「写真」なんだろう。——例えば「読書」というのが、単に本の中身だけでなく、ページをめくる感触や、活字の匂いなどまで含めて読書なのと同じだ。必要な情報だけ揃っていればそれでいいわけじゃない。そこで切り捨てられる、一見すると意味ないような情報にこそ、物事の本質が含まれていたんじゃないか。

レコードからCDへと切り替わった時、「CDじゃダメだ」という人はたくさんいた。「人間の耳で聞こえる可聴範囲の音はほぼすべてCDに記録できてます」といわれても、でも「レコードの方がいい音だ」という人はたくさんいた。あの、「ざー、ぷちっ」といったかすかなレコード針のノイズは、CDにはない。「雑音がなくなってずっとよい音になったんです」——なぜ、「雑音はいらない音だ」と決めつけられてしまったのだろう。あのノイズが、実は大切なものだったのかも知れないのに。

とりあえず、今、一番気になるのは「デジカメプリントの写真は、セピア色になるのか?」ということ。古くなった写真と同じように、あの独特の色合いになるんだろうか。もしそうなるなら、Fujiフィルム、あんたは偉いよ!

公開日: 月 - 3月 29, 2004 at 06:56 午後        


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