常識との距離
・・それがどれだけ離れているかで、自分の主張が相手に受け入れられるかどうか決まってくる。のかも。
時々、妙なことが気になって仕方がないことがある。特に、言葉遣いに関することが多い。僕は、自分に対して気をつけていることはいろいろあるけど、他人に対して注文をつけることはあんまりない。と、思ってた。のだけど、実はそう思っているだけで、自分で考えている以上に人に注文を付けているようだ。
気になったのは、昨日の「トリビア」でのこと。「包丁の由来は、包丁という料理人の名前」とかいうようなトリビアがあって、その解説が庖丁人味平のイラスト入りで(笑)紹介されていたんだけど。——包丁(ほうてい)というのは、中国の戦国時代(だいたい紀元前3世紀頃)の「魏」の国にいた料理人だ。彼が、王様の前で料理をしてすごい腕前を披露した、というような話なんだけど、そのときにナレーションで「魏の皇帝・文恵君」といったのだね。それが、気になってしょうがないのだった。
(ちなみに、インターネットで検索したら、「魏」ってのを、三国志の時代の「魏」と勘違いしているページもいくつかあった。こういうのも、とっても気になったりするのであった)
この時代、「皇帝」という呼び名は存在しない。これは秦王・政が中国を統一したとき、「今まで存在しなかった称号」として考えだしたもので、従ってそれ以後の王朝の王が皇帝を名乗ることはあっても、それ以前の王が皇帝と呼ばれることは決してないのだ。——まぁ、「そんなのどーだっていいじゃん」というような重箱の隅っこを突っつくようなことだってことはよーくわかってる。例えば日本の天皇を外国人が「皇帝」と呼んでも、日本人は「違う違う!」と思うだろうが、外国人からすれば「天皇も皇帝も同じようなもんだろ」と思うだろう。それと同じことだってのはよっくわかってるのだ。
ヒトラーを「大統領」と呼び、ブッシュを「総統」と呼んだら、身近な人間は許せないだろうが、あんまり関係ない世界の人は「だいたい似たようなもんだろ」としか思わないだろう(・・いや、だいたい同じって、「大統領と総統」が、ですよ。「ヒトラーとブッシュ」が、じゃなくてね(笑))。違いが気になる人は、「それは違う! 絶対にそんな間違いは許されない!」と思うだろうが、気にならない人はそもそも「なんでそんなことで怒られるんだ?」としか思わないだろう。
世の中というのは、「だいたい正しいことが通用する」ようになってる。ここが微妙なところで、「正しいことだけが通用する」わけでも、「間違ったことが堂々と通用する」わけでもない。この「だいたい正しいと思われるところ」のことを、人は「常識」と呼んでいる。常識は、必ずしも正確な知識だけでなりたっているわけではないし、間違ったものもけっこう含まれていたりする。が、それを「誤りを正し、正確な情報に置き換え」たら「よりよい常識」になるか?といったら、実は案外とそうはならない。それはただ単に、「窮屈な常識」になるだけだ。
世の中は、必ずしも「正しい情報」を欲しているわけではない。そこんところを勘違いすると、痛い目に遭う。——僕が気になっている「そこんところ、正確にしてくれよ!」というのも、それを相手に押し付けると逆にこっちが痛い思いをすることになる。けっこう、そういう経験をしてきているので、注意しないと(と思っていながら、ついやっちゃうんだけどね)。・・大切なのは、そのときに「正しいことをいっているのに、なんでオレが責められなきゃいけないんだ!」と思ってはならない、ということだ。自分は「正しいことを主張している」と思っていても、実はそれは「窮屈なことを押し付けている」に過ぎないこともあるのだから。
だからといって、「なんでも常識に従え、世間で正しいと思ってる通りにしておけば間違いないんだ」とはもちろん思わない。ではどうするのか。——重要なのは、「常識との距離感を掴むこと」なんだろうと思う。「これ違うだろ」「これが正しいはずだろ」と思った時、それが「世間一般でだいたい正しいと思うところ」とどれだけ離れているか、どれだけずれているか、その距離感を考えた上でどうするか考える。それがおそらく、一番妥当なアプローチなんだろう。それほど離れていないなら、「これが正しいはずだ」と主張すれば良い。多少の誤差なら、おそらく正しい主張が通る。だが、あまりにも離れているようなら、正しいことを主張する前に、その距離を縮めることを考えなければいけない。なぜ、こんなにも自分と世間の間に距離があるのか。その原因は何なのか。どうすればその距離を縮めることができるのか。そこから考えなければ、自分の主張は決して相手には届かないのだ。
ときどき、この「距離感」を全く考えずに、相手に窮屈な主張をひたすら押し付けようとする人というのを見ることがある。「正しいことを言っているのに、なぜこちらのいうことが通じないんだ?」と思うこと、誰しもあるよね。それは、その言葉が届く距離まで縮める努力をしていないからなのだ。これ、自分も含めて、けっこう気がつかないでいることって多いよね。注意しないと。
——で、「皇帝」ですが。とりあえず「皇帝っていう言葉を初めて使ったのは、秦の始皇帝」ってトリビアを広める、ってのはどうだろう?とか思ったのであった。そうすりゃ、「始皇帝より前って、皇帝ってなかったんだよね」ということが通用するようになるだろう。つまり、距離が縮まるわけだ。・・まさか「始皇帝って、誰?」とかいわないでしょうね??
公開日: 木 - 2月 24, 2005 at 07:09 午後