無料の価格


「フリー(無料)」ってものがインターネットの世界では多いよね。
でも、それらは実は無料ではない、ってことをわかってる人、どのぐらいいるんだろうか。

「フリー募金」の話の続きになるんだけど、どうもインターネットが発達してから、「フリー」というものが当たり前のように思われる時代になってきた気がする。フリーウェア、フリーのサイト、フリーのメールアドレス。「なんでもタダで手に入るって、いい時代だよね」と思う。でも、実はそれらは別にタダじゃない。タダで使っている人の代りに誰かが対価を払っているに過ぎない。

例えば、僕もフリーウェアを作って配っている。あるいはWebサイトで各種の教室のコンテンツを公開している。これらは、タダだ。だけど、実はタダではそれらプログラムやコンテンツは作れない。僕が時間を費やして苦労して作っているわけで、それらの労力を「対価」として考えたなら、それなりの値段になる。それをフリーで配っているというのは、つまり「その対価をすべて僕が負担している」ことでタダで配ることができているわけだ。

なぜ、「対価を負担してくれる」という人がいるのか。それは、それなりのメリットがあるからだ。例えば、企業ならば広告効果があるとか。タダで広めシェアを獲得することにより他で営業収益があがるようになっているとか。個人ならば、自分の趣味と勉強の副産物としてできたものだからタダでも十分メリットがあるとか。あるいは、少しでもその世界が豊かになることは、最終的に自分を含めたすべての人のメリットになると判断したから、とか。あるいは、自分の作った物を大勢が使ってくれているという楽しみを得られるから、とか。

さまざまな理由で、「タダのもの」が流通する。だけど、最初から「タダ」というのが当たり前に思われてしまうのは、タダでものを供給している側の一人としてちょっと悲しい。この資本主義社会の中に、完璧にタダのものなんて存在しない。そんなことは子供にだってわかる理屈のはずだ。であるならば、その対価について時には考えてみることも重要じゃないか。

・・とりあえず、僕の配布する「タダのもの」に対する対価を支払いたいと思った人がいたら、どうぞ「感想や励ましのメール」という形でお支払いください。それが、僕には何よりの対価です。ただし、たくさん支払いすぎてもおつりはありません(笑)。ほどほどにお支払いを。

公開日: 月 - 1月 12, 2004 at 03:30 午後        


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