いいわけしよう!


・・・「いいわけもしないで罪を認めるな」と考えるのは変なんだろうか?

法律、特に刑法関係というのにちょこっと興味があるせいか、ニュースなどに裁判の判決などが掲載されていると、たいして興味がなさそうなものでもつい読みふけってしまうクセがある。今日も、かなり大きな事件と、割とちっぽけな事件の判決が出ていた。かの「フライトシミュレータのつもりで全日空機の機長を殺してハイジャックをした」事件と、「手鏡でスカートを覗いたエコノミスト」の事件だ。機長刺殺の被疑者には無期懲役が、また手鏡覗きの被疑者には罰金50万円がそれぞれ言い渡されたようだ。——といっても、今回いいたいことは、これらの事件と直接に関係があるわけではない。

こうした事件の判決と、その一般の人々の反応を見ているうちに、なんとも面白い関連が見られることに気がついた。——それは「いいわけする被告ほど嫌われる」というもの。すべて罪を認め、「申し訳ありません」とひたすら恭順の意を表せば、「深く反省している」と思われ罪も若干軽くなったりするし、被害者側の心情も少しはよくなるし、世間的にも多少は受け入れられるようになる。ところが、「それは違うんです」と罪を認めずひたすらいいわけをし続けると、裁判官、被害者側、世間ともに総スカンを食う。

そんなの当たり前じゃないか、といわれるかも知れない。が、僕にはこういうあり方がどうも気に入らないのだ。——昔々、まだ子供の頃からだけど、僕が(親とかに)怒られて一番釈然としなかったこと。それは「いいわけするな!」だった。いいわけするんじゃない、悪いのはお前だろ、だったら文句をいわずに黙って謝れ。そういわれると、その瞬間、「カチン」と何かのスイッチが入ってしまうのだった。「死んでも謝ったりするもんか!」と思ってしまったりするのであった。——確かに僕は「いいわけする子」だった。自分が悪いと思っても、まずその事情を聞いてもらうことから始めた。そのおかげで、ずいぶんと「イヤな子、悪い子」扱いされた気がする。まぁ、「イヤな子」だったのは確かだが(笑)。

なぜ「いいわけする」=「文句をいう、罪を認めない」とされてしまうのだろう。そこが、子供の頃から釈然としなかった。なぜ、「いいわけをしない子」が「いい子」なのか。罪を犯した人間は、一切の主張を認められないのが当たり前なのか。罪を犯した側の事情をなぜ人は聞こうとしないのか。そういうことを、けっこう小さい頃から漠然と疑問に思っていたような気がする。もちろん、もっと拙い言葉だったけど。

日本では、「犯した罪の反省や償いの度合い」は、常に「罪を犯した本人の様子」をもとに「感情的」に決められる。「何もいいわけせずひたすら謝る」のが「深く反省している」態度であり、いいわけするのは反省が足りない証拠だと無条件に判断された。そういえば、前に何かの事件の再審請求を求めていた人がこんなことをいっていたのを思い出す。——日本では、再審請求すると仮釈放がなされなかったのだそうだ。なぜなら、再審請求をするというのは自分の罪を認め悔い改めようとしていない証拠であり、模範的な態度とは認められないから、だという。日本では、罪を犯した人間が自分の権利を主張することは難しいのだ。だからこそ、人は子供を叱るときにこう言い続けてきた。「いいわけするな」と。そうして、辞を低くしてトラブルが通り過ぎていくのをひたすら待つのが正しいやり方なのだ、と。

「いいわけするな」——この言葉の持つ怖さになぜ人は気づかないのだろうか。

「いいわけするな」——その言葉が持つ第一の危険、それは「言論の封殺」である。どのような人間であれ、たとえ犯罪者であれ殺人者であれ死刑囚であれオウム信徒であれ、この世のあらゆる人間には「自己の意見を主張する権利」があるのだ。そして「主張する」という行為を、何かのマイナス要因としてとらえてはならないのだ。「いいわけするのは反省が足りない証拠だ」と決めつけられれば、人は「反省している」という判断を勝ち得るために「自己の主張」を諦めるようになるだろう。そしてそうしたあり方は、「ゆるやかな言論の封殺」ではないのか。

「いいわけするな」——その言葉がもつ第二の危険、それは「真実の隠蔽」である。何かの問題が起こった時、もっとも重要なのは「悪い人間を決めつけ裁くこと」ではない。「何が起こったかを明らかにすること」ではないのか。すべてが明らかになれば、誰がどのぐらい責任があるかといったことも自ずと明らかになる。だが「いいわけするな」という言葉には、そうした「真実を明らかにしよう」という姿勢は微塵も感じられない。

「いいわけするな」——それは、本人のためを思っての言ではないのだ。それはただ単に「厄介ごとが一刻も早く通り過ぎてくれるようにするための方便」ではないか。早いことこの状況を終わらせてしまえ、そのうちにみんなも忘れるだろう、そういう考えから生まれた言葉にしか僕には思えないのだ。

だからこそ、将来、娘が成長して、もし悪いことをしたなら、僕はまずこういってやりたい。「いいわけしなさい!」と。「黙って罪を認めるな。何があったのか、それを明らかにしようとしないことが一番の罪なんだぞ」と。——世の「いいわけするな!」と口にするお父さんお母さん、どう思われますか?

公開日: 水 - 3月 23, 2005 at 03:08 午後        


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