非難と批判


・・は違う。正しい批判は、相手の利益にも通じずると思うのだけど。

「タブー話」で思い出した。——嫁はよくぬいぬい関係(註)のサイトを巡回しているのだけど、そこでちょっとびっくりな話があった。とあるぬいぬい関係のお店のサイトで、とあるミシンの問題についてのレポートが掲載された。そこは、それまでその機種のミシンをお勧めしていたのだけど、新型になって問題が噴出し、メーカーと何度も交渉した末に「これは使えない」という結論に達したのだな。その経緯と、「こういう問題があったのでもうおすすめはできません」といったようなことをまとめて掲載していたのだね。

(註:ぬいぬい関係——布を買ってはうっとりと眺め、パターンを眺めてはため息をつき、布を裁断しては涙を流し、ミシンをかけては怒り狂う、そういう人たちのこと。「ぬのらー」「ぬのふぇち」「ぬのジャンキー」「そいむす(ソーイング娘。)」等々の呼び名がある)

まぁ、それだけならよくある話だ。ところが、ここから話は俄然面白くなるんだけど(笑)、そこのお客さんのサイトで、そのレポートに対する非難がどどどっと書き込まれているのに遭遇してしまったのだ。嫁にいわれて僕も読んだのだけど、いやー、なんちゅうか「頭の悪い人」という感じの文句たらたらの書き込みでありました。要するに、「私はこのミシンを使ってる。私は全然問題なんかない。それを、なんでこのお店は、自分のところのミシンが調子悪いからってえらっそーに批判するわけ? ナニサマのつもり? きいいいいい」——ということらしい。

この人はとっても面白い人で、お店で買った型紙を、きちんと作り方を理解せず作っては「全然カッコよくない、ひっどーい」と文句をつけたり、ごく単純な中学生でもできる計算で「こういうふうに計算をして調整して下さい」というのを「めんどいからやんなかったけど、あんな難しい計算、やってる人いるのかしら?」といって文句をいったり、よーするに「自分に起こるあらゆる出来事はすべて自分以外が悪いに決まっている」という素晴らしい信念をお持ちの方なのであった。そのミシンのレポートも、「いくら自分のところのミシンが調子悪いからって、感情的になるのはみっともないわよ、ふん」という態度。

それは、お前のことだ。と、お願いだから誰か突っ込んでくれ。

・・と夫婦して突っ込みながら楽しく拝見させていただきました、ハイ。
 それにしても奇妙だったのは、そういう誰が見ても「『人の振り見て我が振り直せ』の歩く反面教師」という人の発言に、同調する人がいくつも書き込んでいたことだ。そこでは、実に奇妙な論理が展開していたのだった。それは、「こういう、会社の公のホームページで、人を批判するようなことは慎むべきですよね」的な意見だった。

「なんで? ちゃんとした会社のちゃんとしたホームページでこういうことをきちんと書くことに意味があるんじゃないの?」

と嫁などは憤慨しておりました。
 「非難」は、確かにすべきでないと思う。誹謗中傷や、きちんとした論拠を示さない一方的な非難は、公の場所ですべきではない。けれど、きちんとした裏付けに基づく「批判」を自分の正式なサイトなどで自分自身の立場を明らかにした上で行なうのは、正しいことのはずだ。逆に、自分の正体を明らかにしないままフリーのホームページや匿名の掲示板などで批判することこそ慎むべきことのはずである。自分がどういう人間であり、どういう事情でそのような結論に至ったかを明確にした批判は、むしろ批判された企業にとっても有益であり歓迎すべきことではないか。

こんなことはほとんど常識だろうと思っていたのだけど、世の中ではその正反対に考えている人がけっこういるようなのだった。匿名の場所で人を非難するのはいいけど、企業や個人の正式なサイトで人を批判するのは悪い、そういう考え。なぜなんだ?

いろいろ考えたんだけど、どうしてもそう思える理由が見つからない。唯一、「そういうことかな?」と思ったのは、「自分が持っているものの批判をされるのはどんなことであっても絶対にイヤ!」ということなんだろうか、ということだった。「わたしが気に入って使ってるのに、なんでそんな悪くいうのよ!」ということなんだろうか。では、自分が三菱の欠陥車に乗っていたら、路上で炎上して死んでもいいから知りたくないと思うのだろうか。子供が楽しみにしているデパートの自動回転扉に欠陥があることは、子供が挟まれて死んでもいいから知りたくないのだろうか。

日本では古くから「他人のことを悪く言ってはいけない」といわれ続けて来た。それはある意味正しいが、しかしこの「人のことを悪く言う」という意味を取り違えている人が多いような気がする。誹謗中傷と批評批判は違う。何の裏付けもない、発言した本人が何の責任も取ろうとしない批評批判は慎むべきだが、本人がきちんとした態度で公に発言する批評批判は、いわば「相手のためを思う」言葉ではないか。

どーでもいい人や会社に対して、真剣に批判など誰もしない。相手のためを思うからこそ、真摯に批判するのだ。そのことをどうか多くの人に理解して欲しいと思う。——というわけで、応援してますよ、Mパターン研究所。

公開日: 月 - 7月 12, 2004 at 06:46 午後        


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