チャレンジド??


朝刊の投書欄に「チャレンジド」の呼び名についての意見が出ていた。
知ってる? 「ハンディキャップド」の読み替えらしいんだけど。

最近、米国では障害者のことを「ハンディキャップド」ではなく、「チャレンジド」という呼び方が少しずつ広がっているらしい。これは「神から試練に挑戦することを許された者」といったニュアンスらしい。そのことで、何日か前に「なんてすばらしい表現なんでしょう」といった投書が掲載されていたんだけど、案の定、当の障害者の方から反論が来ていた。

「なんで障害者だというだけでさまざまなことに挑戦しなきゃいけないのか。そんなのまっぴら御免だ。健常者から見れば、障害者が困難に挑戦しているのは美しいものに見えるかもしれないが、私たちはただ普通に生活できるように努力しているだけ。困難に挑戦する姿が美しいのは障害の有無なんて無関係のはず」

ごもっとも。
ときどき、人は当事者をほったらかしにしたまま、ああだこうだと物事をひねりこねくり回すのに熱中してしまうことがある。障害者の呼び名がハンディキャップドはよくない、変えよう、というなら、障害者自身が、この呼び方がイヤか、変えた方がいいか、どういうものにすればいいか決めればいい。別に健常者がわざわざ「この呼び方ってとっても失礼だと思うんです。ですから『チャレンジド』って呼び方はどうかしら?まあ、なんてすてきだこと。そうしましょう、ね?」なんてしゃしゃり出る必要などない。

ときどき、メディアなんかで「放送禁止」の用語なんかを読み替えてたりするのを見るけど、あれ、当事者はどう思ってるんだろうか?と不思議に思ったりする。ちょっと前に「放送禁止曲」の本を読んだんだけど、放送禁止となった曲のほとんどすべては、どこからかクレームが来たわけではなくて、「きっとこれこれこういう人たちからクレームが来るに違いない」と勝手に思い込んで禁止にしてしまっていたらしいと書いてあった。うーむ、そういうのはあるかもしれないな。

なんか問題があるなら、まずは「当事者」に聞くべし。そして「当事者」に判断させるべし。これは、当たり前のことのようで、実は意外に難しいことだったりするのかもね。

公開日: 木 - 10月 30, 2003 at 11:30 午前        


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