買収の波紋


あちこちで叩かれております、ライブドア。

ライブドアへの風当たりが政財界で日増しに強くなってるようだ。産經新聞は社説で「経済合理性の観点からメディア戦略を構築しようとしているだけで、言論・報道機関を情報娯楽産業としか見ていない。公共性と社会的責任を負う資格があるのかどうか、自らに問うてほしい」と書いてあったそうだ。全くもってその通り。ただし、これはライブドアへというより、そのまんまフジテレビの社長にいったほうがいいと思うのは僕だけではあるまい。——また、みんな忘れてるけど実は総理大臣もやっていたらしい森喜朗氏は「カネさえあれば何でもいい、力ずくでやれるという考え方は、今の教育の成果か」と、その言葉、そのまんま自民党へお返ししたいよと思うようなことをいっておりました。

いろいろといわれていることを総合すると、どうやら「金でメディアを私物化することへの批判」というのが根底にあるような気がする、のだけど実はそうじゃなかったりする。「金でメディアを私物化することへの批判」という恰好の隠れ蓑を使って、「成り上がり者バッシング」をしているだけなんだろう。日本人は、成り上がり者、特に「同じ日本人の中で、今まで自分たちより下だと見下していた連中」が成り上がることを極端に憎む。例えば、ライブドアではなく三菱グループとか松下電器グループとかが買収をしたなら、「さすが三菱、松下」といわれるだろう。あるいは、ライブドアが米国企業だったら「さすが米国はやることが素早い」なんていわれるんでないか。同じ日本人で、ネクタイもせず、いつもTシャツにジーパンでふらふらしてるような奴だからこそ、彼らは気に入らないのだ。フリーターに毛が生えた連中と思っていたのが、自分たちより上に立とうとしている、そのことを認めるのが厭なのだ。

もちろん、そうした下衆な根性は人に見透かされるととても具合が悪いわけで、多くの人はそんなことはおくびにも出さず、「いやいや、メディアというものはですね・・」などとのたまうのだろう。——だが、この「メディアというのはうんぬん」という表向きの意見の方も、実はよく考えるとかなり怪しいものだったりしないか。

メディアは、公共のためのものである。メディアは私物化してはならない。メディアは公正中立であり、外部からの圧力などを受けるような存在であってはならない。——それは、もちろん理想としては正しい。だが現実としてはどうだろう。果たして今の世に、公正なメディア、特定の企業の支配を受けないメディアなどあるのだろうか。天下のNHKは、何かあれば政治家に番組内容についてお伺いを立てていることがバレてしまった。フジテレビの番組を見れば、「言論・報道機関を情報娯楽産業としか見ていない」ことは明らかだ。既に「公明正大自主中立なメディア」などというものは存在しないのではないか。

いや。そもそも「公明正大自主中立」などということがこの世であり得るのだろうか。例えば、「どの立場にも偏らず完全に中立であるメディア」などというものはあり得るのか。——あり得ない。もしあるとしたら、それは「自分の意見を決して言わない、何も主張しないメディア」だろう。人が何かの意見を主張しようとすれば、必ずどこかに偏り、完全な中立とはならない。何かを主張すれば必ずそれに反対する人たちが出てくる。完全にすべての人に対し同じような距離を保つ立場などありえないのだ。「いや、自分の意見は偏ってはいない」と主張する人も世の中にはいるだろう。だが、そうした人も、何かを主張する以上は必ず「自分が正しいと思う立場」に偏っている。それに気づいていないだけだ。完全に正しいものなどこの世には存在しない、ただ正しい「と思う」ことがあるだけなのだ。

重要なのは、自分が公明正大ではないことを自覚し、自分の考えが決して中立ではないことをわかった上で、なおそれを主張する必要性、その意義を考えることができるか、ということだろう。更にいえば、決して自分の考えが完全に正しくはないとわかっているからこそ、過ちに気づいたときにそれを受け入れ改める謙虚な姿勢を持っているか、ということだろうと思う。そして、そうしたことがわかっていれば、僕らはおそらくそのメディアを信用することができるのだ。——僕らは、決してそのメディアが「完全に公正で中立だと思うから」信用するのではない。「彼らは自分の立場を認識しており、誤りがあっても改めることができるだろう」と思えるからこそ信用するのではないか。

果たして、今の世に、「自分が中立でも公明でもないことを自覚しているメディア」というのがあるだろうか。そしてメディアの人間は、そのことを自覚しているだろうか。

まるで自分たちが公明正大で、完全に中立であるかのように思い込んでいるメディアの方が僕には迷惑である。自分たちが完全であると信じ、正義であると信じ、相反する立場を理解し認めようとせずただ叩きつぶそうとする、そんな連中の方がはるかに害悪だ。ライブドアをバッシングするのなら、その返す刀で自分自身をも切ってみなさい。果たして自分たちはどれほどのものなのか。それすら考えられないメディアが多すぎる。

公開日: 金 - 2月 18, 2005 at 03:12 午後        


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