おめでとう、金メダル♪


パチパチパチ。みんながんばってるんだね〜、オリンピック。勝った人も負けた人も、立派だよ、うんうん。

オリンピックが始まってますね〜。やわらちゃん、野村くんに続いて、水泳の北島くんも金メダルですか。いや〜、立派ですね〜。こういう、前から「絶対、金がとれるはずだ!」とプレッシャーかけられまくりの中で金をとるってのは、たいしたもんだね。

どうも最近、スポーツ関係で否定的なブログを書いたりしたもんだから、「スポーツがキライなんですか?」と思われてるみたいなんだけど、そういうわけじゃないです。好きです、見るだけなら(笑)。僕が嫌いなのは、「スポーツそのもの」ではなくて、「スポーツの回りに群がっているもの」なんだと思う。

例えば、オリンピックで金メダルをとる。これはたいしたもんだ。やっぱり、感動するよ。これだけならば、僕もオリンピックをとっても楽しめるんだ。——ところが、日本ではこれだけじゃ終わってくれない。必ず、「○○選手の生い立ち」みたいなものがどどっと出てくる。これがまずイヤだ。

それとね。金メダルをとったという試合で、「金メダルをとった人」だけに感動するわけでもないんだよね。僕は、どっちかというと「やぶれたもの」に対する惜しみない拍手こそ、感動の本質であるような気がするんだな。スポーツというのは、多分、勝ったもののためにあるのではない。負けたものも含めて、参加する全てのものが感動の対象なんだ。それが、日本ではどうも「勝つことが感動の対象である」かのような感じで思っている人が多いような気がする。これもイヤなんだな。

要するに、「スポーツをスポーツとして純粋に楽しめる」環境がどうも日本にはないような気がするのだ。そこが、どうも一言文句をいいたくなる根本なのだろう。——例えば、以前のオリンピックで、やわらちゃんが決勝で北朝鮮の選手に敗れたことがあったね。あの時、勝った北朝鮮の選手を讃えることのできた日本人はどれだけいるだろうか。サッカーで未だにいわれる「ドーハの悲劇」のとき、勝ったイラク選手たちに惜しみない拍手を送ることのできた人はどれだけいただろう。

スポーツに国境はない、という。これは嘘だ。厳然として国境は存在する。僕らは、戦っているのが日本人か否かで、その試合の感動を変えてしまう。スポーツを純粋にスポーツとして愛し、楽しむことは、日本ではとても難しいんだ。「誰が勝ったか」「どの国が勝ったか」ということとは関係なく「すばらしいものを見せてもらってありがとう」と素直にいうことが難しいんだ。自分自身が戦っているならいざ知らず、ただ「娯楽として見ているだけ」の人々にとって、スポーツには国境があり、人種があり、性別がある。

純粋にスポーツを楽しめるとき、僕はスポーツを観るのが大好きだ。願わくば、そうして楽しめる状況が、これから先、広がってくれますように。

公開日: 月 - 8月 16, 2004 at 04:49 午後        


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