日本サッカー・ゴーホーム!
日本のサッカーチームが中国で大ブーイングだそうであります。中国だけでおさまってりゃいいけどね。
サッカーのアジアカップの試合が中国で行なわれている。そこで、日本チームに対する猛烈なブーイングが起こって物議をかもしているとのこと。特に重慶での試合では、ブーイングにとどまらず、ものを投げたり、日本からのサポーターは警備陣に囲まれての観戦となったりで大変だったらしい。中国では、未だに日本に対するバッシングの空気は色濃いようだ。サッカーのサポーターとなると多くが20代なのだろうけど、その世代にすら反日感情は根強く残っている。まぁ、90年代にかなり強力な反日教育がなされていたらしいので、それで育った世代はしょうがないのだろうけど・・。
で、ここで「日本の中国における歴史的なんたらかんたら」とかいう方向へ話がいくかというと、いかない。どっちに向かうかというと、「なんでそんなにサッカーで強くならないといけないんだ?」という方向へ向かうのだ。
僕は、どっちかというと野球で育った世代である。サッカーに対する特別な思い入れというのもあんまりない。そのへんを割り引いて聞いて欲しいのだけど、僕はJリーグが誕生し、日本のサッカーが世界で通用するレベルになっていくに従い、なんとな〜く「あんまり強くなって欲しくないな」感というのを感じるようになってきた。うまくいえないのだけど、なんというか「サッカーは、サッカーが強くないといけない国々に任せておけばいいんじゃないか」という感じがするのだ。
世界では、「国技はサッカー」といってもいいぐらいにサッカーが盛んな国がたくさんある。ヨーロッパなどは、それでもサッカー以外にたくさんプロスポーツがある。けれど、南米などではサッカーしかない。なぜ、かの国々でサッカーがそこまで盛んなのか。南米の多くの国々では、貧しきものが貧困から抜け出すにはサッカーしかなかったのだ。かの国々のサッカー熱の根底には、そうした社会背景がある。彼らにとってサッカーは、単なる楽しみを超え、時として生きるための最後のよりどころのようなものであったりもする。
僕は思うんだよ。そうした中で、日本では想像できないような貧困から死にものぐるいで這い上がって来たものたちを、日本が破っちゃったりしていいのか?と。ま、サッカーはスポーツなんだし、スポーツってのは理由はどうあれ勝ったやつが強いやつなんだ。そんなことまで考えてスポーツを観るな!とかいわれそうだ。(でも、そういう人に限って、日本人に限っては、選手のお涙頂戴なサクセスストーリーなんぞをテレビで見てもらい泣きしたりするんだよね)
なんでも一番をとろうと思っちゃいけない。僕個人のかなり歪んだ価値観なのかも知れないけど、僕は例えば「勉強で一番をとったやつはスポーツで一番になっちゃいけない」と思ったりする。勉強で一番のやつがスポーツではビリッケツになる、それが世の中の正しいあり方だ。野球の始球式というのがあるだろう? 総理大臣だの偉い人がやってきて、ぽわ〜んと山なりのボールを投げてはじめるやつ。「どんなにえらい人間であっても、野球選手のようにプレイすることはできないのだ」ということを宣言することで野球の試合は始まるのだ。こと野球に関しては、どんな人間であれ野球選手にはかなわない、それを明確にするのが始球式だ。すばらしい。世の中は、かくあるべきだ。人にはそれぞれその人の本分というのがあり、そこではその人が一番なのだ。だからこそ、それ以外のところでビリッケツでも生きていけるのだ。ごく一握りの天才たちが「なんでもかんでも一番」になったら——そんな世界で、僕らボンクラはどうやって生きていけばいいのだ?
エコノミックアニマルと呼ばれ世界有数の経済大国になり、気がつけば軍事大国にもなり、世界唯一の超大国の腰巾着としてあちこちの戦争に出かけては虎の威を借りまくってくる。中国ならずとも、そういう国がもしあれば、「いやなやつら」と思うんじゃないか? 僕なら絶対、そう思うな。——そんな国のやつらが、あろうことか自分たちの国技であるサッカーでアジア一位だの世界何位だのとしゃしゃり出てくる。僕なら絶対、許せない。僕は、そういう点では心が狭いからね。「てめーらは国へ帰って自動車でも作ってろっ! オレたちのサッカーの世界で偉そうなつらするんじゃねえっ!」と間違いなく思うよ。
いいじゃん、サッカーぐらい彼らのものにしておけば。そんなに、なんでもかんでも一番にならないと気が済まないの? ・・とか思うのは、僕ぐらいなのかなあ。そうなんだろうなあ、うん。
公開日: 水 - 8月 4, 2004 at 03:33 午後