歴史上の偉人というのは


たいていにおいて犯罪者である、ということを僕らはつい忘れてしまいがちだね。

ヒマを見て、池宮さんの「本能寺」を読んでいる。いや、面白い。最近、歴史物はしばらく読んでいなかったのでなかなかに引き込まれる。歴史物というのは、どうも男に人気があるものらしい。女性で好きだという人は、いるにはいるけどそう多くはない気がする。その理由が先日、ちょっとわかった。

——テレビで「トリビアの泉」を見ていて、「戦国時代、『愛』という字を掲げた兜をかぶって戦った武将がいる」というのが出てきたときだ。これは確か直江山城守兼続のことだよなあ・・と思ってみていたんだけど、これがなぜかみんな大笑いをしている。直江兼続の理念からすれば当たり前だし、知っていれば笑えないようなことを大笑いされてむかっとしていたんだけど、そういう話をしていたら、嫁がぼそっと一言いった。

「・・でも、人殺しなんでしょ」

うっ・・。ま、そうなんだよな。戦国武将だし。でも、あの時代に戦国武将として、しかも上杉の家臣として生きるためには・・とあれこれ頭に浮かんだんだけど、そこでふと「なるほど、ここが女の人があまり歴史物を好きにならない理由なんだな」と思ったのでした。——その時代にはその時代の価値観がある。それは確かだ。だが、現代の感覚からすれば、戦国時代のどんなに偉大な武将も「人殺し」だ。そして、そうした見方は、実は正しいのかも知れないのだ。

「あの時代はそういう時代だったのだ。現代人が考えるのとは違うんだ」——そういう物言いをよく耳にする。確かに、昔と今の価値観は違う。だが「だから仕方ない」かどうかは、また別の問題だ。歴史上、さまざまな偉人と呼ばれる人間がいたが、そのすべてが戦争人であったわけではない。全く別の種類の偉人もたくさんいたはずなんだ。

戦国時代などは、既に遠い過去の話になってしまっているから直接的な害はない。が、第二次大戦前ぐらいの時代を同じように「今とは価値観が違うんだ」といってすべての物事を正当化する人間がいる。これはもう、限りなくたくさんいる。こうなると「昔の話だから」と済ますことはできなくなる。また戦国時代に限らず、歴史上の偉人などを無理矢理現代に当てはめ歪曲化して自己の正当化をはかるような人間もいっぱいいる。「尊敬する人は織田信長です」なんていう人間は意外に多いんじゃないか。嫁の「でも人殺しなんでしょ」という視点を常に持っておくというのは、案外、歴史というものから少し距離を置いて客観的に見るために重要かも知れない。——人は、歴史というものをつい美化し正当化し偶像化しようとする。忌むべき部分を「今とは価値観が違う」といって切り捨て、美点と思われる部分だけを拡大解釈し、自分にとっての理想の歴史を作り出そうと無意識のうちに試みる。「でも人殺しなんでしょ」という言葉は、そうした詐術に陥ろうとしたときに目を覚まさせる呪文となる。

男というやつは、つい「強さ、力」といったものにあこがれてしまう。これはもう、本能のようにそういうものが備わってしまっているらしい。その延長線上に「男が強かった時代」への郷愁みたいなものがあるのかも知れないな。自分にも、このろくでもない本能が悲しいことに備わっているのだ、ということを肝に銘じておこう。少なくとも「自分だけはそうではない」と錯覚しないようにしないとね。

公開日: 月 - 6月 7, 2004 at 06:43 午後        


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