死ぬほどバカ


・・な人間っている。そういうバカを許せるかどうか?

蔵王連峰で遭難していた4人の大学生が無事下山した、というニュースが流れた。どうも山の経験があんまりないのに沢登りに出かけて、雷雨にあってパニックになり道を間違えたらしい。「皆さんにご迷惑をおかけして申し訳ありません」と、こういう事件では恒例の謝罪会見を行っておりました。

こういうのを見るにつけ、「バカだなぁ」とつくづく思う。思うのだけど、思い方が普通の人とはちょっと違っているみたいだ。多くの人は「バカだなぁ」の後に、「全く、心配させて」「迷惑をかけやがって」「こんなバカなこと二度とするんじゃないぞ」といった、要するに「このバカを否定する」ニュアンスでいるように思う。けれど、僕の場合は少し違うのだ。「世の中、いろんな人間がいるんだし、こういうバカを選ぶやつがいたってそれはそれでいいんでないか」と思うのだね。

ダーウィン賞というやつがある。しばらく前に本にもなったようだから知っている人も多いだろうけど、これは「人類の進化に貢献した人間を表彰する賞」だ。ただし、立派な業績に対して、ではない。「バカ」の遺伝子を持って生まれてしまった自分自身を抹殺し遺伝子を残さないことで人類に貢献した人——要するに「想像を絶するバカな死に方をした人」に対する賞なのだ。この賞の受賞者たちを見ると、ほんっっっと「バカじゃねえの?」と頭を抱えたくなる人間ばかりだ。ビルのガラスの強度を確認したくて、24階のビルのガラスに体当たりしてそのまま突き破って転落死した弁護士。セミオートマチックの拳銃でロシアンルーレットをやった男。対戦車地雷を交互に足で踏むゲームをやって吹っ飛んだ3人の男たち。

こういう「何がやりたいんだか皆目わからない人間」ってのはどこにでもいる。例えば、かの「風船おじさん」なんてのもその好例だろう。ヨーロッパなどでは、毎年夏になると、筏やらカヌーやらドラム缶やら訳の分からないもので大西洋を渡ろうとする人間が必ず出てくる、という。そして、その大半は海を渡ってあの世に旅立つのだ。バカだねほんと。

実に面白いのは、多くのヨーロッパの国々では、こうした人間を取り締まろうなどと決してしないのである。「どんなにバカげたことであれ、回りに迷惑をかけない限り、やるのは本人の自由」という感覚が行き渡っているのだろう。これが日本になると、本人の意思に関係なく「バカげたことは絶対にやめさせる」のが正義となる。そうして多くの無謀な行動は抑圧される。

「そんなバカげたこと無理に決まってるだろ」「そんなバカなことやらせちゃダメだ」——それが日本では正しいことらしい。かつて堀江青年がヨットで太平洋を渡ったとき、日本の新聞やテレビは一斉に「密出国の青年、米国に漂着」と報じた。そして彼は密入国で逮捕され強制送還されるだろうと結んだ。だが、実際はどうだったろう。彼は英雄として全米の人々から讃えられた。もし、風船おじさんが米国にたどり着いていたら、彼はどう扱われただろうか?

「堀江謙一は冒険家だろう? それと、何の経験もなく無謀な沢登りをした大学生や、ダーウィン賞のバカげた死に方をした人間とは全く別じゃないか」——いや、違うのだ。立派なことをしたから許される、ただのバカだから許されない、そういうことではないのだ。つまりね、「人間は、他人に迷惑をかけない限り、どんなことだってやっていいのだ」という考え方を許せるか否かということなのだ。

立派なこと、歴史に名を刻む冒険だから許してもいい、タダのバカは許すべきではない、そういう感覚、考え方が猛烈に不快である。「やってみたかったからやった」ということに何の違いもないじゃないか。いいじゃん、バカやって死ねば。誰に迷惑をかけるわけでもないんなら。「何いってんだ、山で遭難すれば捜索隊やらで大変だし、海で遭難すれば海上保安庁も大変なんだぞ」という人。あえていおう。山で遭難すれば山岳警察が捜索し、海で遭難すれば海上保安庁が捜索する、それが彼らの仕事なのだ。そりゃあ大変なのはよく知っているし、命を粗末にすべきではないこともよくわかる。僕も若い頃はよく山登りにいったから無謀な登山がどんなにばかげているか知っている。だが、だからといって、結果を理由に行動そのものを否定するのでは本末転倒だ。危険だから彼らの仕事があり、存在意義があるのだ。

ただ、子供を巻き込むのだけはまずい。前に、台風のときに玄倉川の中州でキャンプして十数名が流されて死亡・行方不明になった事故があったけど、あれはまずい。死ぬなら自分一人で死ねばいい。子供を巻き込んじゃいけない。いや、子供に限らず、誰か他人を巻き添えにするようなことだけはあってはならない。そのことだけは強くいっておく必要がある。

けれど、自分一人だけで済む問題ならば、人はどんなバカな死に方をしてもかまわない。——それに、「死ぬほどバカ」と「すばらしい偉業」との差は、実はさほどないものだ。蔵王で遭難した大学生たち。心配しなくてもいい、植村直巳も初めて山に登ったときは初心者だったのだ。何度か死にかければ立派な登山家になるだろう。それまでに死んだら? そのときはそのときさ。

公開日: 月 - 7月 26, 2004 at 05:37 午後        


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