遠い宇宙より身近なロボット、か
とうとう民間企業が宇宙へ行く時代になったのか、と感無量。
ちょっと前になるけど、米国でとうとう民間企業によるシャトルが宇宙飛行に成功、というニュースがあった。宇宙といっても月にいったというわけではなくて、上空100kmまで到達したということらしい。だが100kmといえば成層圏を遥かにこえた先の「熱圏」とよばれるあたりで、宇宙空間と呼んで間違いない。とうとう民間企業が宇宙進出の一歩を踏み出したのか、と思うと、感慨深いものがある。
米国人ってやつは、本当に宇宙が好きだ。下手をすれば国が傾きかねないぐらいの予算をかけて宇宙飛行を続けて来た。ブッシュのせいでそれもずいぶん縮小されていて大変らしいけど、「国家がダメなら民間で」というところが出てくるのがすごいよね。——一方、日本ではなぜか宇宙ってやつは注目されない。事業団も再編し規模縮小され、これはもう「金にならない宇宙開発はするな」といわんばかりだ。金をかけるな。失敗するな。うまくいけば衛星打ち上げで一儲けできる。それができないならやめちまえ。そういう扱いだ。なんとか彗星だのなんとか流星群だのといったことになると猫も杓子も夜中に空を眺めた見たりはするけど、そこで「彗星にロケットを飛ばして、どうなっているか調べよう」なんてことは考えない。要するに、金のかからない範囲内でしか、宇宙への興味はないのだ。
この正反対の扱いを受けているものもある。それは「ヒト型ロボット」である。これはもう、日本の独壇場といっていい。既に民間企業から続々とヒト型ロボットが製品化され、あちこちで使われ始めている。欧米では、こうしたロボットは今ひとつ興味を引かないようで、ほとんど注目されていないようだ。なんだろう、この違いは? よく「日本には鉄腕アトムがあったからだ」なんていうけど、アトムは米国でもアストロボーイとして放映されております。アニメでは確かに多いけど、映画となるとターミネーターからロボコップまでアンドロイド関係を使ったものは多い。にもかかわらず、実際に作るとなるとイマイチなんだね。
これは、未来とか科学に対する見方の違いとしか思えない気がする。米国人は、この種のものに対し「果てしなく遠い世界」を思い描くのに対し、日本人は「身近な世界」を夢見る、そういうことじゃないだろうか。はっきりいって、宇宙への投資というのは、金になんかならない(今のところ)し、現実的なメリットなどほとんどなきに等しい。そう、これははっきりいって「夢」なのだ。何の役にも立たない夢に多額の金をかけている、そういうことだ。これに対して日本のロボット開発は「夢」ではない。いや、もちろん昔は夢物語のような感はあったろうが、それも「近い将来に実現可能な夢」だった。既にロボット開発においては民間企業は利益を上げつつある。十分、投資に見合う利益が見込める世界なのだ。どちらがいいというわけじゃないんだろうけど、日本人ってのはセコいよなあ、と感じるのは僕だけじゃあるまい。
将来、こうなったらいいな、という夢を語るとき。「太陽系を抜けて他の星へいってみたい」という子供と、「ドラえもんみたいなロボットが欲しい」という子供、どちらに育って欲しいだろうか。うちは女の子だからピンとこないけど、男の子ならまず「宇宙飛行士になりたい!」というような子に育って欲しいな。少なくとも、「ドラえもんがいたらいいな。なんでもやってくれるし便利だし」なんていうガキにだけはしたくないぞ。
公開日: 木 - 6月 24, 2004 at 04:00 午後