性差はどこにある?


NHKの「百年の恋」を見ている。
これを見てると、つくづくと「男女の性差」ってなんだろう?と考えてしまうんだな。

ドラマでやっていたやつは、割とコメディタッチで結婚生活もライトな感じに描かれていたんだけど、原作はかなりすごいらしい。年収6千万の、おそらく「働く女性」の頂点にいる女性。が、家事一切は全くできず、家の中では右のものを左に移すことさえしない女。対し、年収200万のフリーライター。家事全般を一通りこなす「男の主婦」。

こういうのを見ていると、「男女の性差」というのはどこまでが肉体的先天的なもので、どこからが後天的に植え付けられたものか、わからなくなる。コメディではあるけど、男女の性差というのは、実はその一番の問題は「社会的性差別」だのといった大仰なところにあるんではなくて、もっとごく些細なところにあるんじゃないかと思えてくる。

例えば、朝、会社に出かける亭主に奥さんが「今日はゴミの日だから出しておいて」とかいわれ、ゴミ袋を持って家を出る。——こういう光景って、たいていは「情けない男」の姿として描かれる。でも、なんで? 奥さんがゴミを出すのは別に情けなくなくて、亭主だとなんで情けない男にされるの? オレだって、早起きしたときはゴミ出すよ(我が家では、早く起きた方がゴミを出すのだ)。考えてみれば、勤め人は毎朝出かけるんだから、ついでにゴミを出すのは理にかなってるんだよな。

男女雇用機会均等法だのジェンダーフリーだのといった単語を振りかざし、えらそーにのたまうお偉い先生方というのはたくさんいるけど、そういう先生方も、家に帰ればシャツや靴下を脱ぎっぱなしにして、それを奥さんが拾って洗濯したりしているわけだ。偉い先生方が朝起きてゴミ出しをしたりすることはまず絶対にないわけだ。進歩的と称する人などは、たまに休日に夕食を作ったりして「助かるわ」と感謝されて「家事を手伝うのは当たり前ですよ」なんて得意になったりしているわけだ。普段の3倍の金をかけて材料を揃え、キッチン中を汚し、後片付けはすべて奥さんに任せておいて、得意そうにそういうわけだ。そういう先生方が、「男女平等」などといってるわけだ。

選挙期間の頃、新聞に面白い投書が乗っていた。——駅前で候補者が熱弁を振るっていたので、「今、保育園に預けるのに一ヶ月いくらかかるか知ってますか?」と尋ねたら、きょとんとした後で「子育てしやすい環境の整備に努力します」とか返事が返ってきたらしい。日本では子供をママチャリで保育園に送り迎えしたこともない人間たちが「子育てしやすい環境」とやらを作ってる。その奇妙さ。

なんたらかんたら法とかうんたら条例とかそういうもの作るのも大事なんだけど、それで、例えば「亭主が自分でゴミ出しするのが当たり前」とみんなが思えるようになるんだろうか。亭主が食卓についたら自分でお茶を入れるようになるだろうか。そういう日常の些末な部分が変わらなくて、社会なんて何が変わるものだろうか。——日本中の、人から「ご主人」と呼ばれることに何の違和感も感じず当たり前のように思っている皆さん、どう思う?

公開日: 火 - 11月 25, 2003 at 06:48 午後        


©