地球より重いのは「誰」の命?


えらいことになったね。日本人3名が拘束だって。彼らの命の重さは、どのぐらいだろう?

アルカイダの残党だの何だのと憶測は飛び交ってるけど、要するに「人質の日本人を見殺しにするか、自衛隊を撤退するか」という二者択一を迫られているわけだ。今までも、これに似たようなことはなかったわけじゃない。ハイジャックとか、ペルーの日本人大使館事件とか。けれど、状況としては「こっち側に何一つ手ゴマがない」という点で、まったくそれらとは異なっている。ハイジャックなら、スペシャル・エア・サービスさながら突入して強硬手段で解決ってのもあるだろう。ペルーの大使館にしても、ペルー政府と密な連携があったから突入できた。だけど、今回は無理だ。既にイラクって国自体が崩壊してる。自衛隊って軍隊を送り込んでも、彼らでさえ今はほとんどろう城の状態だ。相手のいうことをきくかきかないか、それ以外の道なんてどうもなさそうだ。

福田官房長官の会見をやってたけど、それで報道ステーションのコメンテーターが「人の命は地球より重い——といってハイジャック犯の要求を呑んだのはお父さんでしたね」といってた。そうだった、そういう事件もあったな。福田赳夫氏は、そういって捕まってた連合赤軍のメンバーを解放し、ハイジャック犯をそのまま海外へ逃がしたのだった。

その話を耳にしながら、突然、嫁がいった。「人の命は地球より重い? そうかしら? パパもそう思うの?」——うむ。人間の命は、何物にも代え難いと思う、一般的には。たぶん、平和なときは。でも、常にそうだったわけじゃない。

今、聖戦を叫んで、多くのイスラム教徒が勝ち目のない戦いに挑んでいる。イラクでは米兵が次々と殺されているが、その何十倍、何百倍ものイラク人も殺されている。ダイナマイトを巻き付けて自爆テロを敢行する人々。彼らにとって「命より尊いもの」は、確かにある。そうなんだ、命より大切なものも、世の中にはなんぼかある。

そして反対に。世の中には「軽い命」もある。例えば、だ。人質にされたのが日本人でなかったらどうだろう。例えば、イラク市民だったら? つまり、イラク市民を人質にして、「自衛隊を撤退させろ」といってきたとしよう。たぶん、日本人の多くは、その結果、人質が殺されてもそれほど胸は痛まないに違いない。——毎日、世界中で多くの事件が起こり、多くの人が亡くなっているのに、それが「日本人」でない限りはたいていの日本人はそう心を痛めたりしない。航空機が墜落して何百人もの命が失われても、その中に日本人が含まれなければその日のニュースでちらっと触れて終わりじゃないか。——あるいは、人質がオウム真理教の信者だったら? 同和出身者だったら? 在日朝鮮人だったら? あるいは、小泉孝太郎だったら? 果たして「誰であっても対応は同じ」だろうか。

その命は「誰」の命か。「誰にとって」重要な命か。それが、命の重さを決める。もし、拘束された3名の中に総理の息子が含まれていたら、一も二もなく「人質の命最優先」となるだろう。果たして、政府は彼らの命の重さをどのぐらいと考えるのだろうか。

以前、元地回りのやーさんだった人にこういうことを聞いたことがある。「喧嘩は、命の値段が安い方が勝つ」と。より簡単に捨てられる方が強いのだ、と。——ということは、どう考えても、最初から日本に勝ち目はないのかも、な・・。

公開日: 木 - 4月 8, 2004 at 11:16 午後        


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