2つのコメント


イラクで人質になった3人が解放された。印象的だったのは、2人のコメント。

あんまり熱心にテレビを見ていなかったのであまり知らなかったんだけど、3人やその家族に対する風当たりというのはけっこう強かったんだってね。いやがらせまがいのことがあったり、この不安な状況の中でわざわざ「自己責任だ」といってくる人も多かったそうだ。それが、3人が無事に保護されたとなって、更にそうした「3人が悪い」といった感じのコメントが次々と出てくるようになった。

夕刊を見ると、実に対照的な2人のコメントが並んで載っていた。一人は、小泉首相。3人のうち、イラクに残りたいという人もいるということについて、「いくら善意の気持ちがあっても、これだけの目にあって、これだけの多くの人達が、自分たちの救出に寝食を忘れて努力してくれているのに、なおかつそういう事を言うんですかね。もっとそういう自覚を持って欲しい」とコメントしていた。——そして、その横に載っていたのは、米国のパウエル国務長官のコメント。3人について「誰も危険を冒そうとしなくなったら我々は前進しない。自らを危険に晒して行動した日本人がいたことを私はうれしく思う」と述べていた。

もちろん、米国には米国の思惑というのがあるからそのまま受け取るわけにはいかないだろうけど、しかしあまりといえばあまりに対照的なこの違いは何なのだろう。

どのようなことであれ、全ての物事には良い面と悪い面がある。それを、ある人は「こんないい面もあるけれど、こんなに悪い面もあるからダメだ」と考えるし、別のある人は「こんなに悪い面はあるけど、しかしこんなにいい面もあるからいい」と考える。むろん、どちらが正しいということはない。人それぞれ、どちらの考え方も否定すべきではない。ただ、どっちのほうが人生楽しいかといえば、やっぱり後者だろう。

2人のコメントは、日本人と米国人の典型的な考え方を象徴しているような気がする。もちろん、そうでない考え方の人もたくさんいるのは事実だけど、それにしても典型的な日本人って奴は、なんだってこうも物事をつまらない方へ、つまらない方へと導こうとするのだろう。僕は基本的に米国や米国人というのが嫌いだけど、彼らの「物事をより明るい方へ、面白い方へ」と導いていく考え方だけはうらやましく思う。

「危険だとわかっていていったのだから自己責任だ」というのは、確かに一つの考え方だ。決して間違ってはいない。ならば、「それでもなお、イラクに残って活動したい」というのであれば、自己責任で認めればよいと思うのだが、なぜかそうはならないらしい。「自己責任」ってのは、自分で責任を負うってことだよね? 本人の意思に関わらず「危ないから」という理由で強制的に帰国させるのが自己責任なの? 僕にはどうもそうは思えないんだけど。

だいぶ前のことだけど、海でカヌーの冒険をして若者が遭難したという事故があった。そのとき、コメントを求められたカヌーイストの野田知佑さんがこんなコメントをしていた。「これから海のカヌーが広まれば、若者はどんどん海に出て行ってどんどん死ぬだろう。その時は、どうか温かい目で見てやって欲しい。若者が海で死ぬのは、そんなに悪い死に方じゃない」と。——日本では、「死ぬ権利」がなぜか認められない。どういう死に場所を選ぶか、ということが理解されない。

一方では自殺なんてつまらぬ死に方を選ぶ人間がたくさんいるというのに、「危険を冒して何かをして死ぬ」ということは許されない。なんてつまらない国、なんて面白みのない国だろうとつくづく思うのでした。

公開日: 金 - 4月 16, 2004 at 09:57 午後        


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