「お返事」
日本語は難しい。特に、敬語ってやつは難しすぎて誰もまともに使えなかったりする。
嫁は、ぬいぬい関係のメーリングリストに多数参加している。で、山のようなメールを受け取って日々読みまくっているのだけど、先日、そうして届いたメールを読みながらいっていた。こういうメールの日本語が変だ、というのだ。特に、読む度に「イラっ」とするのが、これらしい。
「お返事」
え、この言葉のどこが? と思った人は、既に毒されております。いうまでもないことだけど、「返事」の正しい丁寧語は「お返事」ではなくて「ご返事」でありますよ。——嫁は、その昔、パパ(オレ、オレ)に送ったメールにうっかり「お返事」と書いてしまい、その返事にしっかり「ご返事」とパパが書いてあったもんだから「うわっ、恥ずかしい」と強烈にインプットされてしまったらしい。爾来、「お返事」と見ると途端に反応するようになったみたいだ。(そのラブレターを書いた側の人間(オレ、オレ)は、そんなことすっかり忘れていたりする)
「お返事」というのは、丁寧語というよりも「幼児語」だね。「○○ちゃん、お返事は?」とか大人が子供に向かっていう、あの言い方だよね。——ぬいぬい関係というのは、子供を持った母親が圧倒的に多く、日常的にこの「幼児語」を使っているために、そうしたことが気がつかなくなっているのだろう。
それにしても、けっこうな年配の人にさえ、敬語がわからない人が多いのには驚く。「なんでもかんでも『お』をつければ丁寧になる」と思い込んでいたり、なんでもかんでも丁寧にすれば正しいと錯覚する人も多い。——だいぶ前になるけど、まだ久米さんがニュースステーションをやっていた折、現場の特派員などを「では、バクダッドから山田の報告です」とかいっていたのを、「山田さん、というのが普通でしょう! 呼び捨ては不快です」と新聞に投書されていたのを読んだ記憶がある。それも、けっこうな年配の人だったと思う。これは、当たり前だけど久米さんの言い方が正しい。視聴者という外部の人に対し、特派員という身内を紹介する場合にはへりくだっていわないといけない。今では、そんな割と当たり前の敬語でさえ知らない人が多いのだろう。
・・こういうことを書くと、「敬語が乱れているのは問題だ、みんなもっと正しい敬語を使うべきだ!」とかいうんかい、と思うかも知れないけど、別にそういうつもりはぜ〜んぜんない。だって、僕だって敬語わかんないし。じゃあ何がいいたいかというと、「つまり、敬語のシステムに問題があるのだ」ということなのだ。
かつては、敬語のシステムは日本の社会にあっていたんだろう。けれど、社会は変化している。今の日本の社会においては、現在の敬語のシステムはうまく機能しなくなってるんじゃないか。もし、過半数の人が間違える敬語表現があるとしたら、それは間違えた人が悪いのではなく、その敬語表現の方が悪いんじゃないのか。
こういうことってよくある。人が何かを失敗するようなとき、僕らは常に「失敗した人間に問題がある」ように考え、「そのシステムの方に問題がある」ということを考えることはあまりない。けれど、システムのために人間がいるのではなく、人間のためにシステムがあるのだ。一部の人間が間違えるならまだしも、誰も彼もみんな間違えるようなシステムは、システムの方が悪いんだ、ということをもっと考えるべきじゃないだろうか。
言葉は変化する。それは正しい、あるべき姿だ。僕は前から何度かそういうことを書いた。ごく普通の言葉遣いに関しては、時代によってどんどん変わって来ているように思う。が、この「敬語」というやつだけは、しぶとい。これだけは、なぜか未だに昔ながらの表現を必死になって守っている。敬語を使うような状況というのは「正しく使わないと失礼にあたる」ような状況であるわけで、それにはどうしても「既に正しいと認められている方式」を採用せざるを得ない。
変化をやめた言葉は滅びる。現在の敬語の使われ方というのは、それを端的に表しているような気がする。滅びるぐらいなら、変えた方がいい。——よくさ、文科省とか国語審議会とかなんたらかんたらいう団体とかが日本語のどーたらこーたらとか調査をしたりしてるけど、そんなことするヒマがあるんなら、「簡易敬語」というのを考えない? 日常生活での敬語はこういう簡易版でオッケー、みたいなもの。昔ながらの敬語は、伝統と格式ある世界のために残しておくとして、「普段の生活は簡易版でいいよ」ってことにしたら、もっと誰もが簡単に敬語を使えるようになると思うんだけどさ。
・・で。そうした時代になったところで、あくまで昔ながらの敬語を使い続ける頑固なじじいになってみるのも、それはそれで面白そうと思うのであった(笑)。
公開日: 月 - 8月 9, 2004 at 06:39 午後