タブーな話


タブーな話というのは、それがタブーかどうかではなく、タブーと思うかどうかでタブー化される。

選挙。・・ま、こんなもんだろう。自民が10議席を割って与野党逆転!なんてドラスティックなことまではさすがに期待していなかったけれど、自民大敗とはいえ数議席減らした程度にはとったわけだから、正直、「大敗」という感じがしない。投票率もそれほどあがらなかったしね。でもまあ、微細な変化は起こったのだろう。民主主義は、気の遠くなるようなまでの微細な変化の積み重ねからしか生まれない。変化が小さいことに苛立つのはよそう。

ところで。選挙とは全く関係がないのだけど、ちょっといくつかのサイトを見ているうちに、「げげっ」と思ったことがあったのでそれを書く。——僕は、まったく考えたことがなかったのだけど、どうやらこういうインターネットの掲示板やらブログやらでは、「政治と宗教の話をするのはタブー」という人がけっこう多いらしい。そうだったんだ。初めて知ったぞ。もちろん、政治や宗教の話を普通にするサイトもあるけれど、それはなんというか「そっち系の人」という感じのところだったりして、ごく普通の人間がごく普通の話題の中に政治や宗教のことが普通にまじっている、ということはあまりないんだろうか。

おそらく、これは「そういう話をすると掲示板が荒れる」とか、そういう「ヤバい話題にはなるべく関わりたくない」という意識からきてるんだろうと思う。タブーというのは、それを口にすると実際に何かの被害があったからできるのではなく、「被害にあうんじゃないかな、と思う」ことからできる。実際がどうかという具体的なことは知らないのに、いや、知らないからこそ、「ヤバいらしい」という空気が醸し出されていくんじゃないか。前に、放送禁止歌の本を読んだけど、実は放送禁止の歌のほとんどのものは、放送禁止ではないそうだ。単に放送局の人間が「ヤバいだろう」と思って自主的に放送しなくなっていく、どこも放送しないから「するとヤバい」という空気が更に作られていく、そういうことなのだ。タブーというのは、案外、すべてこういうものなんじゃないか。

そういう、現実とは乖離した思い込みによって禁忌が作られていくということは世の中にある。そしてそうしたタブーは、実はただ単に「口にする」だけで消える。

僕のブログでは、政治がらみのことも何度か書いている。そして、今まで、それによってイヤな思いをしたことはまっっっったくない。読んだ方から感想や意見のメールをいただくこともよくあるけれど、賛成であれ反対であれ、実にしっかりした御意見ばかりであり、誹謗中傷の類いはまったくありません。そんなもんなのだ。政治的な発言をしたからといって、それが原因でイヤな思いをすることなど実はない。

勇気を持って発言するか。「○○について話すのはヤバそうだ」という思い込みだけで発言するのをためらい、知らずタブーを作る側に回るのか。あなたは、どちらを選ぶだろうか。そして、タブーがない社会と、タブーだらけの社会、どちらをあなたは望むだろうか。

公開日: 月 - 7月 12, 2004 at 11:38 午前        


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